ゴールデンウィーク5日目は高崎駅前を出発し、熊谷まで歩きました。
都市部なので、宿場町としての名残はほとんどなく、ただ、ひたすらに市街地の中を進むという状況となりました。次の宿場町町の距離から到着時間を読み、実際の時間との差を楽しむという時間潰しを自然とやってました。

昨日は40kmの計画のところを47kmも歩くことになってしまい、辛い時がありましたが、本日は計画でも44kmあるので、どんな感じになるか心配でした。結果としては44.9kmで、ほぼ予定通りでした。考察するに、碓氷峠の高低差が誤差につながったかもしれません。
足の疲れ、足の裏の痛みがピークで、毎日、限界距離が短くなってきています。

2017/5/3(水)05:20~16:10
11時間50分 65,700歩 44.9km
高崎駅~倉賀野宿~新町宿~本庄宿~深谷宿~熊谷宿

中山道合計
14日間 119時間12分
677,059歩 514.33km 


高崎駅前のホテルを出発。朝は無料朝食付だったが、今日の予定距離44kmを考え、なるべく早く出立したいと思い、5時過ぎに出発しました。昨日と同じく良い天気でしたが、片側二車線の高崎駅前のメインロードは、昨日の軽井沢とは違い、自分の中山道のイメージとはずいぶん異なりました。これからゴールの江戸日本橋に向かうにつれ、より都会になっていくのを楽しめればいいと思います。

朝出発したときはひんやりしていたが、日が上ってくると早々にTシャツになった。今日は熱くなる予報だったが、過ごしやすかった。
街中を歩いているだけだと、いろいろ余計なことを考えてしまいがちだが、私は歩道にもの言いたい。水はけを考えてのことだが、路面が、傾いている。とくに路側帯しかない道路が顕著だ。私のように長時間歩く者やお年寄りにとって、姿勢が崩れて、足の負担が偏る。結果として道路の右側、左側を交互に歩いたり、少し車道(白線の上)を歩いたりして、車にも迷惑かけている。排水溝のフタの上は水平な場合が多いのでお勧めだ。でもお年寄りが歩くには問題と感じました。

倉賀野宿。昔の面影を伺わせるような建物は少ないが地名は宿場町だったことを感じる。上町、中町、下町どの宿場町でも登場する。たまに仲町とか変化球があるが。

田舎の古民家は人が住んでいないとかご高齢の方が住んでるなどメンテナンスが行き届かない場合が多いが、高崎の古民家はしっかりメンテナンスされている印象を受けた。
都会の波に流されずに残っているのは、昔ながらの建物に愛情と誇りを持っているからだと思った。

旧中山道の歩きの参考にしているマップは川を渡る場所が現在のルートになっていないので、いつも注意している。今日も烏川を渡る場所が当時のと違ってた。写真の橋の左側が渡しのあったところのようだ。

しばらく歩くと、本庄宿の7km 手前で、両足の小指がとても痛くなり、歩けなくなった。道端の歩道のブロックに座り、靴を脱ぐと楽にはなるが、昨日から小指が本格的に痛くなっていた。小指を休ませた後、靴を履いて歩き始めたが、痛くてスピードが全く出ない。小指の痛みを無視して歩くと、気が遠くなりそうだ。このままではまずい。とりあえず、スリッパみたいなものをに変えたいと思いながら、ダイソーのある本庄駅入口の交差点に来たが、駅まで500m以上あり、見えなかったので、次の深谷宿まで、何とか進もうと歩んだが、どうしても進めなくなり、うずくまる。まずいと思ったところで、ふと左手に目を向けると偶然にもダイソーが目の前に。もう手遅れとは思いながら、気力を振り絞って、店内に入り、クロッカスもどきを買った。駐車場の車止めブロックに座って履き替えてみると、小指の痛みから開放され、普通に歩けるようになりました。要は毎日の歩きで足が大きくむくんで、小指が圧迫されたことによるものでした。原因がわかるとゲンキンなもので、クロッカスを履いて調子に乗っていつものスピードでしばらく歩いたら、中敷きのイボイボが刺激となって、本当のマメが出来てまた歩けなくなりました。でも何とか、本日のゴールの熊谷宿に到着したのでした。

レポートするものがないと、ろくなことを書きませんね。
明日は大宮を越えて蕨宿の向こうまで計画してましたか、今の状態では大宮ぐらいと思います。無理せずに頑張ります。(^-^)v