オーちゃんのミャンマー滞在記 -2ページ目

オーちゃんのミャンマー滞在記

ミャンマーでの出来事を綴っていきます。

3月18日(木)




今日はマンダレー近辺の観光地を回った。

 まずはザガインに向かった。インワ鉄橋という今は修復されているが、第二次世界大戦中イギリスが日本の侵入を防ぐために爆破したという橋を見ながら進んだ。その後カウンムード・パヤーという純白のお椀状の建築物を見た。白くてとてもきれいだなと思っていたところ、急激に腹痛が襲ってきた。2回ほどトイレに向かうがどうしても治まらず、彼女の父に相談するとすぐに薬を購入してくれ、さらに食事もお腹によさそうなもの(野菜スープ?)を食べさせてくれた。その後、ザガインヒルという丘へ向かった。

 そしてマンダレー最大の仏塔であるマハムニ・パヤーに向かった。金箔を貼らしてもらった。

 そしてホテルに帰宅。多くの観光地を見させてもらっている反動で少し疲れがたまって来ているようだ。でも楽しすぎる。

 3月17日(水)



 朝5時30分に夜行バスはマンダレーに到着した。ホテルに入り9時頃から朝食を食べ始めた。ホテルには、彼女の叔母さん家族が来ており、今日一日の行動を共にすることとなっていた。朝食は、街の人々が使っている食堂のような場所で食べた。マンダレーは豆が美味しいらしく、豆のカレーを頂いた。実はここ2~3日でお腹を壊していたため、あまり多くは食べることができなかったが、彼女がヌードルを追加注文して食べて欲しいと言われたので、必死になって食べた。インドの時もそうだが、勢いで異文化に飛び込むものの、約1週間で体にガタが来る。気持ちは適応しようと躍起になっているが、体がついてきていない。適応力が強いかなと思っていたが、まだまだだということを実感する。体力つけなければ!

 


 その後すぐにチャウセイという彼女の父の実家へ向かった。小型トラックの荷台に彼女の家族と乗り合わせて進んだ。荷台に乗って走るのは実は初めてだったので、時速80Kmのスピードに心地よさを感じた。

 


 チャウセイにはシュリモードと呼ばれるパコダがある。ここは、バガンの王が建てたもので、この街のシンボルである象の像がいくつも設けられていた。頂上まで向かうのに、山道を30分ほど歩いた。30分といっても、お昼時の照りつける太陽と気温の高さに体力を奪われた。だが、頂上は心地よい風が吹き、過ごしやすい気候となっていた。



仏陀への祈りを込めて鐘を鳴らした。静かな境内の中での消え入りそうな鐘の音から美しさを感じたような気がした。

 


 山を降り、マーケットで竹製のサッカーボールを70円で購入した。リフティングの練習になると見込んでの購入であった。早速彼女の叔父の家で遊ばせてもらった。寮に帰ってからも友だちと遊びたくなる一品だ。

 


 その後、チャウセイに作られているダムを見るために約1時間、親戚一同で散歩をした。

 


 明日はマンダレーの寺院を回る。いい機会だから仏像の出す雰囲気を存分に味わってきたい。

 山腹に存在するシュエウーミン洞窟には数千の仏像が輝きを放っていた。「手の届くところから、鍾乳洞の天井はるか高いところにまで仏像がびっちりとはめ込まれている」とミャンマー東西南北・辺境の旅に書いてあったが、まさにその通り。ここまで仏像に囲まれた空間は生まれて初めてであった。御利益があらんことを祈る。



そこで、彼女の父親にどうして一つだけの仏像ではいけないのかと質問をしてみた。すると、「星を見た時に、多くの星があるがその全てを分からないように、この地球にいた仏陀だけでなく、他の世界にも生まれているであろう仏陀を祈るため」だという答えをもらった。なるほど。宗教の論理的な確立性は時間の洗礼を受けていることもあり、精度の高いものだと思った。

 


 さて、ここまで仏像を見ることができるとさすがに仏教(宗教)に対して考えざるをえない。彼女はやはり仏教への信仰心は強い。このことは、私自身すごく魅力を感じる部分である。なぜなら、一つの確たる考えや行動規範に則って生きているからである。その場の空気に合わせた言動ばかりを行うのではなく、自分を持った行動のできる人は男女関わらず魅力を感じる。

 


 一方で私は形は仏教徒ではあるが、その知識はまったくと言ってもいいほどない。多分決めつけで悪いのだが、多くの日本人が形だけの仏教徒なのではないだろうか。だから、確たる考え方や行動規範といったものはほぼない。なので、目の前の問題に直面した時などには、自分の頭で考えて行動を決断していくという過程が非常に大切になる。その決断の大きな要素となるのは自分自身のことを良く知っているということだと思う。今の自分ができる決断だと割り切って、決めていく。このことは、逆に仏教という確たる考え方に直面した時にも言うことができる。仏教で教えていることと自分自身のことを考えて、その中で何がベストなのかを決めていくことが求められているというか、日本人だからできることなんじゃないかなぁと思ったりした。


 仏像を1,000体以上も見させていただいた経に感謝だ。