震災遺構を見て考える
今回の旅には明確な目的がありました。東日本大震災と向き合う旅に来ました、今ごろ‥ではありますが。津波被害の酷かったところを遺構として残している小学校を巡ります。浪江町、請戸小学校。ランチルームがあったり、とてもオシャレな小学校でした。ここは本当に海のすぐ近く、海岸線に沿って多くの家が並んでいたそうです。一年生はすでに下校し、残っていた児童は、1.5㎞離れた大平山に全員避難して助かりました。寒くて暗い山道を職員児童90名以上が登り、子どもたちは山の中にいたため、直接津波を見ないですみました。一階の教室です。天井も壁もぐしゃぐしゃです。黒板があって、普通にさっきまで授業が行われていたことがわかります。土砂、車、家もここに流れ込み、全てをのみ込んだ後が残っています。津波は2階の高さまで来ました。この地区はもう人の住めない危険地区となり、全員移転したそうです。福島県浪江町と請戸小学校についてこの震災遺構は、2021年10月27日に一般公開を開始し、2023年3月末までに約74,000人の方に訪れていただきました。 皆様にも是非一度ご覧いただき、震災のこと、津波の恐ろしさなどを考える一つのきっかけにしていただければ幸いです。namie-ukedo.com山元町、中浜小学校へ向かいました。ここも、地区の方々が集う役目をもっていたのか、明るく素敵なデザインの学校でした。高波対策もしっかりしていたようで、地元の要望をうけ学校全体が2mのかさ上げをしてありました。丸い柱も津波をうまく逃してくれたようですが、このあり様です。ここは、たまたますぐに停電しなかった地区で、テレビがうつったようです。10分で津波がくる、という情報を得て、校長先生の判断で屋上に避難しました。2階の天井付近まで…山元町震災遺構中浜小学校 - 山元町ホームページ震災遺構 中浜小学校 震災伝承www.town.yamamoto.miyagi.jp高台に逃げた請戸小学校も、屋上に避難した中浜小学校も、とっさの判断ができたのが大きかったようです。普段からの訓練のたまものですね。仙台、荒浜小学校。大きな学校で4階建てです、ここも2階まで津波がきて、避難口が壊れるほどでしたが、幸い上に逃げることができました。ここは、そのままを残すというよりも、防災の観点から展示物が多くありました。地区の300名以上の方々が避難しました。その様子もわかりやすかったです。来館案内 | 震災遺構 仙台市立荒浜小学校arahama.sendai311-memorial.jp時間がたって、ともすれば忘れがちになり、震災を知らない子どもたちが増えてくる中、大人たちができること・やるべきこと・知っておくべきことは何か、いつも考えていなくてはならないですね。請戸小学校で問いかけられた「あなたにとっての大平山はどこですか?」は、この旅行の間中、常に考えました。明日はどこに宿を取ろうかと考えた時、高いビルのホテルか、海から距離のあるところを探しました。埼玉県に津波は来ないかもしれない、でも、出先でもし・・、は考えるようにします。