【日本は古来から内政重視国家だった】 という仮説を立ち上げてみる。 | C.I.L.

【日本は古来から内政重視国家だった】 という仮説を立ち上げてみる。

なんかオレ様ごとき素人の書く 「趣味の歴史記事」 にいつもいつも反応してもらって有り難いやら申し訳ないやらなんだけれども、ふとこんな説を思いついた。


・日本は古来からとにかく内政に重きを置く国家だった


今回はこの前提に基づいて、日本人の国民性の秘密についてあれこれと書いてみようと思う。



日本という国は四方が海に囲まれており、資源に乏しく、国土も狭く、中央部には耕作に不向きな巨大な山脈が連なっており、いち早く近代化に成功したヨーロッパ圏からも遠いという、歴史的にかなり不利な貧しい土地であった。


ご近所には中国という超巨大な大国があり、その周辺には中国の属国が数多く点在しており、そんな中で日本はあらゆる面で貧しいながらも独立国家として独自の文化を発展させてきたのである。


日本という国家はそんな露骨に不利な、例えるなら光栄の歴史ゲームだったら 「上級者しか選ばねえよ!」 的な、ゲーム開始から数ターンで滅亡しそうな国だったにもかかわらず、なぜ欧米の列強国と肩を並べるほどの大発展を遂げたのだろうか?


そしてなぜ中国や朝鮮半島は技術・軍事力・経済力の面で出遅れ、反日感情を煽る事でしか国家の体を保てないような有様になってしまったのだろうか?


そんな事を暑さしのぎの水風呂で身体を冷やしながらぼんやりと考えていたところ、上記の 「日本は内政国家だったから」 という仮説が頭に浮かんだのである。




これがどういう意味か説明するために、ひとまず時代を古代~中世(大航海時代より前) に設定しよう。


この時代の日本と言う国は、先にも挙げたように色々な面で制限されていたからこそ、「与えられた物、限られた土地を大事にするしかない」 という思想に至ったのではないかと考える。


これが土地に恵まれた中国大陸の王朝などであれば、「大地が続いている限り軍隊を進ませて侵略し続ける」 という考えで、物量作戦をもって "国益" を上げていく事が出来る。言ってみればこれは侵略国家の思想であり、ぶっちゃけトークをしてしまえばあまりに土地が広大だから、内政などにはそれほど気を配らなくてもどうにかなる。(内政技術が無いという意味ではないので注意)


だが日本は国土が狭く、軍隊を動かそうにもすぐに "海" という限界がやって来てしまう。しかも地中海のような穏やかな海ではなく、波も風も大暴れな外海に囲まれて孤立しているのである。これでは元寇や白村江の戦いを例に挙げるまでもなく、攻めるにしても守るにしても戦争なんかやってられない。大陸側から見ても、日本側から見ても、海という大自然の前に等しく 「攻めるに難く守るに易しい」 のだ。


かといって日本国内に篭ろうにも水田などが作れる土地は限られているし、海から獲れる資源も国を支えるほどではないし、鉱物などに関しても技術が未発達だから採取率が悪いし、急勾配だからすぐに河川が氾濫するしと無い無い尽くしなのである。


だからこそ、日本人は "ものの限度" という言葉を強く認識していたのではないだろうか?


ゴールドラッシュ時のアメリカ人のように 「とにかく西へ!行け行けGO!GO!」 という考えではなく、「やっぱ土地も物も限られてるからねえ~。今ある物を大事にしないとねえ~。」 という原理に早い段階から気付いていたのではないかと思うのだ。


その結果どうなったかというと、文字通り 「限られた物を大事にする文化」 が生まれたのだと考える。これによって 「八百万の神さま」 という言葉が現しているように、万物に感謝し、ありとあらゆる物にカミを感じ、与えられた物を大事に大事にして生きていくという思想が生まれたのではなかろうか?


だから狭い土地から最大限の恩恵を得られるように耕作技術が発達したのだろうし、河川というカミ様と仲良く共存していくための治水技術も優れた物になっていったのだろう。


それとこれはあまりに大胆な仮説になってしまうが、土地や農作物と同じように、人というのも国の大事な財産である。国民がいなければ国として成立しないのは誰でも分かる事だ。そんな国家として最も大事な 「国民を守るための存在」 も日本には古代から存在している。


それが何かと言うと、ずばり天皇家である。


国民を多く失う事態が何かと考えると、それは今の時代でも同じだが天災や戦争である。天災を免れるお祈り要員としての天皇家はここでは置いておくとして、日本史の教科書などを眺めてみると、日本国内で起きた大規模な戦争(=戦死者の多い戦争) は意外と少ない事に気付かないだろうか?(っていうか一度の戦争で数千~万単位で戦死者が出た例はもしかしたら信長の一向宗根切りくらいか?)


これはどういう事かというと、常に大きな抑止力として、逆らえない調停者として天皇が存在していたから、時の権力者同士が大きな戦争をする前に、和睦という形で平和的解決をしていたからだと考えられる。


思えば日本史に登場する英雄達は、大事な局面で天皇家を上手に活用していた。例外として天皇自体が強大な力を持っていた時代もあるが、オレが何度も記事にしている織田信長しかり、藤原氏しかり、平氏しかり、源氏しかり、天皇家を困った時の調停者・権威として存続させているし、実際にそのように利用しているのだ。


そして織田信長や足利義満のように、天皇家自体を乗っ取ろうとか、潰してしまおうとか、大きく形を変えてしまおうと企んだ (と思われる) 偉人は、ほぼ例外なく "それ" を行動に移す直前に謎の死を遂げている。(信長の謎の死は有名だけど、義満にも暗殺説あり)


こうした点から考えると、恐らく日本人は本能的に "国民" という財産を守ってくれる天皇家を 「絶対に必要な存在」 だと認識していたのではないだろうか?


こうした前提の下に日本特有の国家体制が整って行ったと考えると、日本人の特徴が上手く説明できるような気がするのである。


まず高い技術力や識字率に関しては、これはもう上に書いたので理解してもらえると思う。「与えられた物を大事にする」 という思想の賜物である。突飛な事を言えば、日本人のオタク気質も実はこの辺から受け継がれているものなんじゃないかと思う。


そんなオタク気質を持った職人達が、ある時いっせいに職業変えした時代があった。それが戦争の無くなった江戸時代である。それまで鉄砲や刀などを作っていた職人達が、需要が無くなったので様々な職にクラスチェンジしたのである。これが日本の妙に優れた技術力に拍車をかけたのではなかろうか?



こんな日本人の性格を表現するのに丁度いい表裏一体の存在が、第二次大戦の陸軍と海軍の差である。


日本人のオタク気質は近代に入ってからの軍事力にも大きな影響を与えていると思われ、日本は兵数こそ決して多くはなかったが、代わりに海軍兵器の性能という点で第二次大戦の初期頃まではかなり優秀だった。海洋国家の面目躍如である。


だが陸での戦争となるとこれがもう目もあてられない。特に中国大陸での戦争下手さは擁護する余地がない。日本人は狭い国土に慣れていたため、だだっ広くどこまでも続く大地を見てしまうと、何をしていいのか分からなくなるのではないだろうか?何から手を付けるべきか思考停止してしまうというか…。


だから暴走したり、混乱したり、補給線も考えずにひたすら無策に前進してみたりと、悲惨な選択肢を選んでしまうのではないか?


こう考えると、日本人というのはある程度の制約が決められた枠組みの中で、世界でも他に類を見ない大活躍をする民族ではあると思う。


だが逆に 「無限の可能性がありますよ~。何をやってもいいんですよ~。」 という状況だと、思考の柱が無くなって何も出来なくなってしまうのではないか?


だからこそ、狭い国土をより有効活用しようとか、限られた土地からより大きな恵みを受けようとか、より学習力や技術力を高めようという内向きな政策は比較的上手く行くものの、外向きの政策がどれもこれもお恥ずかしい結果になってしまうのではないだろうか?



簡単にまとめると、日本とはあらゆる面で制約を受けていたからこそ、徹底的なまでの内向き政策によって限られた国土を豊かにし、技術力を上げ、教育にも力を入れ、世界の列強国と肩を並べるような近代国家になれた。


だが外向き政策の "頂けなさ" が害となって (白人による有色人種への差別感情が強かったにせよ)、絶対に勝てない戦争に突入し、国土を侵される結果となってしまった。



そして問題は今である。


日本は日本人の限られた財産を自ら手放す暴挙に出てしまい、外国に技術を盗まれるわ、ゆとり教育の名の元に致命的なバカを大量生産するわ、挙句にまともな内政すら出来なくなるわと目もあてられない…。


そんな今のご時世に、誰よりも日本人らしい政策を打ち出して実績を挙げているのが、実は東国原知事だったりする。宮崎県の物産を自ら広告塔となって全国にアピールして収益を上げるという手法は、限られた物を最大限に活かすという日本人気質そのものである。(最近のオレは密かに東国原派と化している)



こうやって日本史を元にしてアレコレ考えてみると、ひょんなタイミングで新しい物の見方を発見できて大変面白い。


しかし問題なのが、しょせん素人の付け焼刃なので、これまたひょんなタイミングでいきなり真逆の説を唱え出したりする可能性が高い事だったりする。


「さて、明日は一体どんな思想になっている事やら…」 といった具合なので、読者諸兄はあまり真に受けないように。