国防能力の大切さを説明するために、平安時代のお勉強をしよう。 | C.I.L.

国防能力の大切さを説明するために、平安時代のお勉強をしよう。

先日の記事 にも繋がってくる話題なんだが、日本人は 『国防』 に関して認識が甘すぎる。


それは特定アジアなどの息のかかった市民団体や、左巻き論客、マスコミなどによる反戦運動が効果を挙げたという事もあるのだが、それ以上に日本人の中に無意識の内に根付いている 『戦争=死=ケガレ』 という思想が大きな影響を及ぼしていると考えられる。

「自衛隊は軍隊だからいつ戦争になってもおかしくない」 だとか、「もし戦争になったらどうするんだ!誰が安全を保障してくれるんだ!」 といった寝ぼけた意見は、何も特定アジア工作員の成果というだけではなく、日本人特有の 『ケガレ思想』 から来ている物なのだ。


この戦争を嫌う日本人の性格を説明するのに、歴史小説やドラマでは滅多に脚光を浴びない平安時代の日本について語ってみようと思う。

平安時代の日本人は、現代人よりも遥かにケガレや言霊や怨念といった目に見えぬ何かに対して大きな恐怖心を持っていた。


そういった恐ろしい "モノ" に対する対策として、当時の最先端科学が用いられる事になった。それが陰陽師、祈祷師、神様の言葉を伝える巫女などに代表される、呪術師的な存在である。


当時の日本では、"政治" というのは "祀り" であったのだ。余談だが "政" と書いて "マツリゴト" と読むのはこれが語源である。


そんな状況だから、当時のお偉方は何か問題がある度に占い、その結果を聞いて慌てて怨霊鎮魂のために祟っているとされる何かを祀る。そうすれば問題が全て解決すると信じていた。それが世の平和を守るための政治だったのだ。


「平和になってください~」 だとか 「政敵を滅ぼしてください~」 と祈れば思い通りになる、というのが平安時代の科学だったのである。


そんな有様だから、当時の日本の政治を牛耳っていた貴族達は軍隊を捨ててしまった。お祈りすれば万事解決するから、血に触れるケガレた軍隊などという存在は必要ないと考えたのだ。


治安を守るための最低限の警察機構だけはあったが、それでも日本全土の治安を維持するには足りない。よって、自らの身を守るために地方の有力者達が急速に力=軍事力を持つようになった。


その結果どうなったかというと、日本は確かに軍備を全面的に放棄した世界でも他に例のない国家となった。


だがそれが本当の意味での平和をもたらしたかと言うとそうではない。


何しろ 「野盗の群れが現れて村を襲ってるから何とかしてくれ!」 という声が挙がっても、「野盗よいなくなれ~」 とお祈りするばかりなのだから、事態が解決する訳がない。


さらに朝鮮半島の賊が九州に上陸して略奪・誘拐などの犯罪行為を行っていると報告が入っても、「賊退散!」 と祈るばかり…。挙句に手勢を率いて賊を退治した人間に何の恩賞も渡さなかったのだ。


さらに世は摂関政治の真っ只中であり、天皇を意のままに操る一部の家ばかりが栄え、地方は荘園だらけで民衆から搾り取れるだけ搾り取れとばかりに搾取を繰り返していた。


こんなふざけた状態が長く続くはずもなく、各地の有力者は中央政権に対して次々と叛旗を翻した。


代表的なのが平将門であり、同時期に海賊として瀬戸内海を荒らしまわった藤原純友である。


平将門の乱は、将門に政治的なビジョンがないという欠陥と、流れ矢に当たってカリスマ的存在だった将門が討ち死にするという不運もあって、何とか短期間の内に平定する事が出来た。


これが幸いして、同時期に起った藤原純友の乱も何とか治める事に成功した。


だがこれはまさに薄氷の勝利であり、仮に将門があと1週間でも長生きしていたら、京の都は間違いなく藤原純友の軍勢によって陥落していただろう。


当時の日本には、関東の覇者将門と、瀬戸内海で兵を挙げた純友の両者を同時に相手に出来るような軍備はなかったのである。


この時は数々の幸運が重なって世を治める事に成功したが、この時のダメージは根深く、源頼朝によって武士政権が誕生する下地を作ってしまったのだ。



ちなみにこの将門と純友を討伐するにあたって、どのような手段が用いられたかも説明しておく。


先にも述べたが、この当時の日本には軍隊が存在しなかった。よって、お上から 「逆賊を討て!」 という命令を受けた人間は、まず共廻りの何十人かの部下だけを引き連れて現地へと向かう。その道すがら 「お上からのご命令であ~る!」 と、地方の有力者達から兵隊を集め、何とかまとまった数の軍勢を確保していたのだ。


今で言うなら、地方自治体に 「兵隊貸して~」 とお願いして回るような感覚だろうか。


そんな手法しかなかったからこそ、将門と純友の手勢(合計しても10万足らず) に対して 「この世の地獄がやって来た!」 的な大騒ぎをしたのである。(大騒ぎ=いっぱいお祈りする)


もしこの時代に半島や大陸から侵略軍が攻め込んで来たら、日本は反撃する間もなく、あっという間に占領されていただろう。



こんな昔話を聞くと 「昔の日本人はアホやなあ」 と思う人も多いだろうが、これは今現在起きている事でもあるのだ。


軍隊という存在を否定し、嫌悪し、「日本に軍隊はいらない」 とまで強弁する輩は、まさに平安貴族と同レベルなのである。


国を守るため、治安を維持するために何が必要なのか、それを冷静に考えて最適な答えを出す事こそ、人間の知恵という物ではなかろうか?


平安時代の日本という反面教師があるにも拘らず、今の時代に平安貴族と同じような思考をしているのでは、言葉は悪いが "バカ" としか表現しようがない。


それも単なるバカではなく、国を滅ぼしかねない大バカ である。


だからこそ私は 「理数系のお勉強ばっかじゃなくて、もう少し歴史を学んだら?」 と言い続けているのだ。


軍備を放棄することがどれほど危険か、まさに過去の日本人が身をもって示してくれているのだから、現代人は同じ過ちを繰り返さぬよう、知恵を振り絞って 「国防とは何か」 について考えるべきなのだ。


特定アジアの工作員達が何を言おうとも、日本は国を守るために軍隊を持つべきだし、有事の際に日本人は迷わず軍隊に協力すべきである。


この心構えを持たずして、何を持って国民を名乗るのだろうか?そんな連中は他の国に行って同じ反戦・軍備放棄思想を広めてみればいい。絶対に無視されるか投獄されるかのどちらかだから。



反戦主義者が何をどう祈ろうと、それは他国の政情には何の効果も現さない。それであるなら、日本は日本軍を持って、有事に備えるしか自衛手段はないだろう。


頭の弱い子が勘違いしても困るので噛み砕いて言うが、これは何も有事を望んでいるという訳ではなく、強力な日本軍がある事によって、有事になる前に平和的解決が可能になるという意味だ。


理想主義者の方々には心苦しい意見かもしれないが、人間なんてそれほど賢くない。だから21世紀になっても戦争は絶えないのだ。


そんな状況にあるのだから、日本だけが無抵抗を唱えても何の意味もない。「そうですか?じゃあ遠慮なく頂きます。」 と、ロシアや特定アジアに攻め込まれても何の文句も言えない。


だからこそ 「軍備を充実させて思い止まらせるしかないでしょう?」 というだけの話なのだ。


反戦・軍備放棄を唱えるのは思想の自由で認められているから本人の勝手だが、だったら戦争しない、軍備も放棄するという手段を選んだとして、どのように日本の平和を守るのか代替案を出すべきだろう。


それなくして 「とにかく軍隊なんかいらない!」 と叫ぶのは、単なる思考停止したアホな子なのである。



こんな意見を堂々と口に出来るようになったのだから、10年くらい前と比べたら随分とまともな国になってきたとは思うけれども、それでもまだまだ平安時代の日本人を笑える状況ではない。


過去に学び、それを現代に活かす事が出来てこそ、『日々成長していく人間』 というもんだと思うんだが…。