汁説 織田信長 『第7回 楽市・楽座と関所の撤廃』 | C.I.L.

汁説 織田信長 『第7回 楽市・楽座と関所の撤廃』

前回の最後に 「次は信長の宗教観について語るかもー」 などと言った気もするが、宗教の話をする前に経済政策について話さないとダメなんじゃないかと思い至った。(特に市や座や関所に関して寺社が関係してくるもんで)


で、まず信長と言えば 「楽市楽座をしたすごい人」 というイメージがあると思うので、この 『楽市楽座』 ってのが一体どんな政策なのかを説明する。


そもそも『市』とは、古く大宝律令によって制定された物の売買(または物々交換)をする場所なので、なんと飛鳥時代(西暦700年代)にまで遡る事が出来てしまう。


ごく初期の頃は都 (平城京だの平安京だの) に何箇所かあるだけだったようだが、信長の時代には全国各地で市が開かれていた。


ちなみに日本中にある 「●日市」 という地名は、市が開かれる日にちなんでつけられた地名である事が多い。四日市なら 「毎月四の付く日に市が開かれていた土地」 という由来があったりすると。(分かりやすく例えるとアレだ、朝鮮絵合わせ屋とかが毎月7の付く日は高設定サービスデー!とか言ってるような感じだ。いやゴメンこの例えは微妙に違う気がした。)


で、もう一方の 『座』 というのは、同業種 (物品の製造販売業以外に芸事なども含む) の人間が寄り集まって作った組合組織である。


例えば油の製造販売がしたいと思ったら、油の座に入らないと造る事も売る事も出来ない。(座のイメージとしては、そもそも石工の集まりだった初期フリーメーソンなんかに近いのかもしれん)


こうした座というのは、その商品の独占権や製造権などの権益を守るために、何がしかの権威と手を組んで上納金を納めていた。


そうした座の権益を守る権威として君臨していた存在が、主に朝廷や公家や古い寺社などである。


公家はともかくとして、信長時代のお寺さんは利権を守るために武装しており、そんじょそこらの戦国大名では太刀打ちできないほどの武力を持っていた。


しかも暴力手段を持っているだけでなく、宗教と信者というバックボーンがあるわけだから、一度怒らせたら何をされるか分からない、現代で言うならヤクザと宗教が合体したような組織だったのである。(ていうか現代にも1つあるなあ…そういうカルト宗教…)


そんな有力寺社は座以外にも利権・特権を持っており、その代表的な物が『関所』である。


この信長時代の関所というのは、江戸時代の出入国を見張るための存在ではなく、どちらかというと高速道路の料金所に近かった。


寺社などが大きな街道などに勝手に関所を作り、そこを通るためには問答無用で金を払わなければならないというのが当時の常識だったのである。


こういった関所から上がってくる通行料と、座から納められる上納金で、当時の有力寺社は金銭的にとんでもなく潤っており、その金でまた武器を揃えて人を集めてそれはもう酒池肉林の大騒ぎだったと。


それらの悪しき存在を全てぶち壊したのが織田信長なのである。


ただ、楽市に関しては信長が発明者という訳ではない。信長の父親や祖父さん世代の様々な大名がすでに自分の領地で行っていたので、信長はそうした政策をより発展させた人物なのである。


なにより信長の凄いところは、座も関所も全て止めさせた事にあるのだ。


・信長だけに上納金を納めれば、織田家の領地で誰でも商売をしていい。

・経済的独占権を持つ組合を全て解散させる。

・勝手に関所を作って通行料を取るなど許さない。


言葉で言えば簡単そうに見えるが、これは現代からしてみても相当思い切った政策だったと思う。なんたって平成の今の時代にも上に挙げた3点が不自由なんだから。(日本中にいっぱいある団体さんと、それらと癒着しまくりな政治家や官僚どものお陰でね!)


で、先にも述べたように当時の座や関所などを守る代わりに利益を吸い上げていたのは武装した寺社である。一声かければ何千人という武装集団(信徒)を集められるような暴力集団である。


信長は流通経済をより良いシステムに作り変えるために、こうした現代のヤクザよりもたちの悪い連中を一切合切敵に回したのだ。


それら古い権威や宗教との衝突が大爆発してしまった例が、一向一揆との戦いや比叡山の焼き討ちなどだが、これは信長の残酷さを語る時に持ち出される逸話ではあるが、実はこのような 『そうせざるを得ない理由』 が存在していたのだ。


こうした信長のまさに命がけの経済政策によって何が変わったかというと、まずは日本全国の銭や物がスムーズに流通するようになった。


それまでは関所で法外な通行料を吸い取られ、座でさらに手数料を取られ、場合によっては座に入れてもらえず締め出されたりしていたのに、それがキレイさっぱりなくなった訳だ。


そうなれば、目端の利く商人達は自分の扱っている商品を今まで流通していなかった土地に持ち込んで一儲けしようと思うだろう。


すると、西日本でしか出回っていなかった物が東日本でも手に入るようになると。


で、そうこうしている内に後追いの商人も集まってきて、そこで競争の原理が働いて価格破壊が巻き起こると。


するとどうなるか?


そりゃもう信長の領地全体が豊かになり、そこに住む人々の生活水準が上がっていったのだ。


これこそが信長の大改革 『楽市楽座と関所撤廃の意味』 なのである。



で、こっから先は憶測になるけれども、自分が戦国時代に生きていた末端の民百姓や商人だったと思って考えて欲しい。


例えば、自分が今住んでいる土地を治めている大名が、古い権威やシステムをそのまま使い続けていたとする。ちょっと移動しようにも関所だらけだし、何か商売をしようと思っても座が仕切ってて入り込めないと。豊作でお金に余裕が出来たからちょっとハレのお買い物をしようと思っても、市に並ぶ商品は座が一方的に決めた価格設定だからどれもこれもクソ高いと。


で、隣国の美濃や近江の人に聞いたら、織田信長が楽市楽座や関所撤廃を実現してくれたお陰で、随分と良い暮らしをしていたと。今までとは桁違いに安くごま油だのお茶だのといった 『ちょっと良い品』 が買えるようになったなんて自慢されたとする。


そうなったら今の殿様と織田の殿様とどっちがいい?


どっちの下で暮らしたい?


自分が商人だったとしたら、どっちの殿様の下で商売したい?


もし足軽として戦働きするとしたら、どっちの殿様のために働きたい?


こう考えると、なんで織田信長だけがあの時代にあれほどの勢いで (ほぼ) 天下統一を成し遂げられたのか理解できると思う。


織田信長というと残酷で非情な人物と言われているが、一般人からしてみたら夢のような善政をしてくれるありがたい殿様だったのだ。(当時の織田家は軍隊の規律も日本一厳しかったから、乱暴狼藉や略奪を働く荒くれ者もほとんどいなかったそうだし)


だからこそ、数々の古い権威を敵に回しても勝てるほど多くの支持が集まり、日本中の富 (銭・物・人) が織田信長の下に集まったのである。


そして信長はその富を元手に、鉄砲を集め、傭兵を集め、人材を集め、日本では並ぶ者がいないほど強大な力を手に入れたと。


楽市楽座や関所の撤廃を考えると、こうした優秀な政治家としての織田信長の姿がよく見えてくると思う。


織田信長こそ、まさに今の時代に欲しい理想の政治家なのだ。


特定アジア勢力とか、カルト宗教とか、エセ部落とか、ヤクザとか、あちこちの圧力団体とか、織田信長が今の時代にいたら間違いなく根絶やしにされてただろうね。


と、話がヤバイ方向に進んで来たので続く。