ネットの情報を鵜呑みにせず自分の頭で考えよう | ナンパ奮闘記

ナンパ奮闘記

東京を中心にナンパ活動、その戦績を紹介します。

どーも、オハラです。

 

もうそろそろ夏が近づいていますね。夏といえば開放的な雰囲気とともに女性も薄着になったり普段より大胆になったりと我々男性には嬉しい季節です。

 

さて、元々は別のアカウントで20代後半のぎらついていた時期から始めたこのブログですが、私もあと1ヶ月もすれば38歳になります。つまりほぼもう40歳です。なんか自分の父親が40歳になったとき確か僕は10歳くらいだったと思いますが母親が仕事が終わって帰宅した父親に「父さん今日で40歳になっちゃったわよ」と言って僕とお兄ちゃんに「もう親父になっちゃったわね」と言って笑っていたのをなんとなく覚えています。あれから30年が経過して今度は自分がその立場に。

 

今ではこのブログは中年サラリーマンのぼやきとともに少しでも中年サラリーマン男性が癒やされて元気が出るブログになれば幸いと言うスタンスでやっています。

思えば僕の父親はサラリーマンではなくコンビニの店長だったからスーツで夜遅く帰ってくるお父さんって感じではなく、家の隣のコンビニにいつでもいるお父さんだった。夜9時きっかりにコンビニの制服を脱いでYシャツにスラックス姿の父親が家に帰ってきて、疲れているのに僕と嬉しそうにプロレスごっこをしてくれるのが日課だった。

 

父親はバブル時期を経験した人ではあるけどコンビニ店長だから左うちわでがっぽり稼いでがっぽり使ってと言うような感じではなかった。景気がいい時はコンビニの売り上げも良かったようだがその売り上げがどうやってコンビニ社員に還元されたのか詳しくは知らない。おそらくちょっとボーナスが出た程度だったんだと思う。僕の家はおじいちゃんの代から色々と土地を転がしたり酒屋さんから80年代にコンビニにいち早く切り替えたりとある意味時流に乗ってうまくやりくりをしてきた家だった。だからある程度恵まれた環境で僕は育って私立の中学にも入れてもらえたし、最終的にはイギリス留学までさせてもらった。

 

最近ではもう70を迎えようかと言う父親は会いに行けば毎回同じ話題と同じ話しかしなくなってかなりボケが始まっている。その父親曰く若い頃特にやりたいことやなりたいものはなかったらしい。酒屋の息子に生まれ、長男の自分が店をつぐのは当たり前だと思っていて、チョイスはなくそのまま家業を継いだ。特にそれが嫌とか好きとかなかったらしい。「どうやって家族を食わせるか」しか考えなかったとのこと。

 

世代ごとに仕事に求めるものが違う。戦後を生き延びた僕のおじいちゃんとか僕の父親くらいの世代が仕事の話をすると「ちゃんと家族を食わせていけるのか?」と聞いてくる。でもいわゆるバブル時代に新卒サラリーマンとかイケイケだった人たち(今の50代くらいか?)は仕事の話をすると「それで儲かるのか?年収上がるのか?」ととにかく金がステータスだと考え、給料が下がったりやりたいことを優先して儲からないことは無価値と考える、とにかく金。そして僕のように今30代で子供の時にバブルは終わった人たちもしくはいわゆる就職氷河期というときにまさに社会人デビューという人たちは仕事に対して「食える」とか「儲かる」という感覚がない。まず今の日本で餓死するということはほぼないし、24時間やっているコンビニでいつでも安価で腹一杯食べれるから働かないと餓死するという感覚が薄い。さらにバブルの恩恵は受けなかったからいわゆる好景気のことなんて全く知らない。子供の頃お父さんがリストラにあったりとか社会に対して暗い印象が強いのだ。「働けば働くほど儲かるぞ!」という感覚が極めて薄いのだ。さらにはブラック企業なんてものも出てきて若者を少ない給料でこき使ってサービス残業とかパワハラとか、よくその辺の事情をわかっていない親父たちが「最近の若い人は根性がない。自分らの若い頃なんて残業なんて当たり前だった」とか勝手なことばかり言いやがる。僕らは社会に対しての印象があまり良くない「社会は怖い場所」「いくら尽くしても勝手な事情でリストラされる」「終身雇用の保証がない」とかで、引きこもりやニートなど働くことに魅力を感じられない世代が自分たちだと思う。

 

さらに進んで今の20代はいわゆる悟り世代と言われる。もう何も社会に求める物がないのが彼らの考え方だと思う。最初っから不景気で給料は少なく、政治にも興味がわかず学生の頃から消費税は8%になっていて、気がついたら10%になっていた。年金は払うだけ払わされ自分たちは貰えないということが先にわかっていて、少子高齢化、「寿司」「Manga」「治安がいい」「礼儀正しい」だけが売りのこの国に未来が光って見えるわけでもなく、ただただ日々をたんたんと過ごしている。金も大して貰えないから高い車やブランド品などほぼ興味がなく、なるべく金をかけないで楽しめる娯楽が生きがい、例えばスマホゲームとかyoutubeなど、それで結婚をしたがらないとか子供を持ちたがらない若者などと言い全部若者にリスクだけ負わせて何も若者へ先行投資もしないこんな世の中で彼らは悟りを開くしか選択肢がなかったんじゃないだろうか?一昔前は不良とか非行に走る若者など、その向かう場所のないパワーと暴力性を服装や髪型や態度で表現し「己は己である」と出張していたが今では非暴力と無言の主張が主流である。

 

もちろんこんな時代に「出世してやるぞ」と燃えている若者はかなり少ないという。そりゃそうだ、地位が上がっても給料は雀の涙、責任と仕事だけ増えて金にならないなんて割りに合わない。現に僕もあまり出世したいという気持ちが起きない。おそらく社会が「出世すれば安泰、儲かる」とか「年功序列」とかそんな単純な構造ではなくなっているからだと思う。終身雇用なんて物が壊れて、いつでも首を切られてしまう時代、それだけじゃなくて会社だってずっと存在しているわけじゃないし、技術もどんどん進歩しているから自分の仕事や業界がちょっとずつ衰退していくんだろうなあという漠然とした不安を持ちながら若いときに早いうちから子供を作って、家を買って、とかそんな気になれるわけがない。

 

僕もおじさんになったが若い人たちを応援したいと常に思っている。若い人たちの間で流行っていることを頭ごなしに貶すつもりはないし、「最近の若いやつは」なんて口が裂けても言おうと思わない。むしろこんなタフな時代を彼らは独自の流行やライフスタイルを築いて逞しく生きているじゃないか。ただずっと会社にいて年齢が上がれば給料も自然と上がっていったような生き方をしていた時代と違って彼らは英語なども積極的に勉強しているし、スマホやSNSなど現代に必要不可欠なツールもたくさん使いこなしているじゃないか。某日曜の昼間にやっているおっさんが見るワイドショーで若い女の子を街中で捕まえてご飯を作らせて「そんなのもできないの?」と嘲笑うコーナーを拵えている番組があるが、インタビューするテレビ側がなんか上から目線なのがすごく苛立たしい。でもこの前こんな痛快なやりとりがあった。

TV「今何やっているの?」

女の子「学生です。専門学校に通ってます」

TV「へーそうなんだ。バイトはやってるの?」

女の子「バイトはやってません。でもSNSでモデルとか宣伝とかしてちょっと稼いでます」

TV「へー、今時だね。ちょっとその写真見せてよ」

女の子「良いですよ、これです」

TV「へー、可愛いいじゃん。でも、これでSNSとかで稼げなかったらどうするの?笑」

女の子「あ、でも今庭師の専門学校通っているんで。SNSで稼げなくてもそっちで仕事はいくらでもあります」

TV「令和の若者、恐るべし…」

みたいな感じだ。若者を舐め腐って「どうせSNSで自分の写真とかプライベートとか晒すくらいしか能がないんだろう?」とか思っていたのだろうか?ちゃんと庭師として資格も持って勉強している彼女の蜂の一刺しが非常に痛快だった。

 

今は時代の変化が本当に早いと思う。僕が子供の頃ですら「流行り廃りが早い」とかよく言われていたけど、スマホが普及して誰もが膨大な情報にアクセスできる時代になった今、次から次へとフェイクなのか本当なのかわからない情報の波が寄せては返すのが今の時代である。5Gにみんな飛びついているけどよく考えたら一般人が5Gを使用して入手する情報なんてあるのかとふと疑問に思ってしまう。今でも十分ネット速度にストレス感じることないと思うし映画を数秒でダウンロードできるとかそんなに魅力的だろうか?そんなに早くデータをダウンロードして我々は何をしようとしているのだろうか。

 

回線の速度が早まればその分、情報が飛び交う速度も早くなるだろう。次から次へと本当かどうかわからないニュースがものすごい速度で更新されて自分の頭で考えることも追いつかなくなるだろう。最近、よく60代とかその上の世代の人たちがようやくスマホなどでネットに触れる機会が増えてどんどんいろんな情報を入手するようになったが一方でフェイクニュースに騙されている人も多いようだ。あまりネットのリテラシーがないからどこぞのブロガーがろくに調べもせず自分の意見を掲載して過激な発言をしたりしている記事を見て「そうなのか」と信じてしまう中高年が多いという。コロナが実は某国の陰謀でばら撒かれたとかアメリカの大統領選挙で誰かが裏で操作していたとか簡単に信じ込んでしまうらしい。

 

現在ではほとんどの人がネットで情報を仕入れるだろう。大学では一昔前はネットの情報に極力頼ることなかれと言われていた、特にwikipediaの情報は出どころ不明な情報が多いから絶対に信じてはいけないと言われていた。でも今の学生はほとんどwikipediaで調べたことで論文を書くだろう。古い考えの人は「本に書いてあることしか信じない」という人もいるだろう、確かに本は信憑性が高い。うそを書いたり炎上しそうな過激な内容は出版社にも責任を問われるから校閲の段階で厳しく調べる。そうして厳しく精査されたものが出版されて世に出ていくので情報の信憑性は確かにネットより高い。でも、時代は変わっている。Wikipediaも出どころ不明の情報は載せないように審査が厳しくなっているし、そこまで目の色を変えて「ネットはだめ」というのも時代遅れである。

 

大事なのは自分の頭で考えることをやめないということだ。ひと昔前はテレビが大衆を洗脳するとか恐れていた人がいた。でも今はスマホが人を洗脳する時代がきている。ネットにある情報やニュースそして誰かが書いた過激な思想やちょっとした意見を鵜呑みにしちゃいけない。もちろんこのブログで僕が書いていることも「なんか違うな」と思ったらそれは個人の自由だ。(かと言って争う気はないので煽ってきたりはやめてね)

僕の知り合いで一時期ブログで稼いでいる人がいたがある時「PCを高速化するためのおすすめ設定方法20」みたいな記事を書いていたんだが全く同じことを他の人がすでに書いていたのだ。つまり彼はその人のブログの記事をほぼそのまま転載して項目を前後させたり「ですます」を少し変えたり文章をちょっといじったりしただけで、他人の記事で利益をあげているようなものだった。その記事に対して誰かがコメントで質問していて「環境設定でXXをオフにすると高速化と書いてありますが、それをやると他部分の負荷が増えて逆効果では?」という指摘があったが、それに対して彼はなんとも正直に「試したことないのでわからないです」とコメント返していた。コメントを書いた人も呆れたのかそれ以降のやり取りは見受けられなかった。この彼のように自分で試してもいない、真偽を確かめてもいない情報がネットには渦巻いているのである。そして彼らはこれで金も貰えるのだからどんどんと本当かどうかもわからない情報をネットにあげていき拡散していくのである。

 

上記の例からもこれだけの情報社会において自分の頭で考えることは大切なんだなとなんとなくわかってもらえたと思う。よく高齢者がオレオレ詐欺とか還付金詐欺に引っかかってしまうのを「なんでそんなことに引っかかるのかな?自分だったら絶対に引っかからない」と若い人は思うだろう。でも、ネットにある情報を疑いもせずそのまま信じてしまっていてはいずれ自分たちもそういう被害に遭うことは覚悟するべきだろう。陰謀論とか大統領選挙の不正とか大地震がX月X日に必ず起きるとか隣国が戦争を起こそうとしているとか身の危険をダシにするのは昔からの洗脳や扇動の常套手段である。

 

若者だけでなく高齢者もネットを使う全ての人たちには気をつけてもらいたい。そしていつでも自分で考えて自分で行動するということを忘れずに。そして自分の行動には責任を持つことだ、今の政治家のような無責任な行動は避け「ネットで書いてあったから」「試してないんでわからないです」なんて言ってはいけない。