肩にふれて | 大原里絵オフィシャルブログ「Sports Beauty」Powered by Ameba

肩にふれて

今日、母の肩を少しもみました。



触れたの久しぶりかも…。



夜ランも、iPodの音楽をTRFと青春時代の曲にして。。。



母と私。



私は15歳から親元はなれ、バスケットをするのに名古屋の高校に(現、桜花学園)進学しました。



家に帰れるのは年二回。



ホームシックにはならなかった。



全国から集める選手は、全中エリートばかり。



ユニフォームを着られるのが12人試合に出られるのは5人。



試合の相手よりチームメイトに勝たなきゃいけない。 小4から始めたバスケットをはじめて辞めたいって思ったのが高校3年。



キャプテンなのに、ケガしたり試合にでられるか、焦ってた、耐えられなかったんだなぁ、

お母さんに電話して「辞めたい」って言ったら、「お母さんは試合に出て欲しいとか思ってないよ」って、

次の日、仕事も休んで朝イチで、名古屋まで来てくれた。

その言葉ですっーと何かつかえてたものが取れて楽になった。



無事インターハイ、キャプテンとして試合にでて、優勝できた。



この時の優勝は、言葉にできないくらい嬉しかった。 お母さんの言葉がなければ味わうことできなかった…。



国体も優勝した。



インターハイ、国体、ウィンターカップ、と3冠とることがすべてで、これだけに青春時代を捧げたわけで(笑)、

クラスメイトの名前、顔なんて、さっぱり覚えていない。



最後のウィンターカップ、ベスト16。 負けちゃった。 千葉出身なのに、千葉のチームに負けちゃった。



あんなに頑張ったのに、負けるってあるんだ…、 みんな夜遅くまで自主練してた、

人と同じだけじゃだめだって、みんな知ってた。

県大会、同じ高校生に200点ゲームをすることもあった、

いい選手を集めてるからあたり前なんかじゃなく、みんな人より練習してた。



この負けを励みにできず、バーンアウトしちゃった私。

実業団に入っても、うまくなりたい気持ちがでてこない…、



小学生からやってこれたのは、お母さんの喜ぶことがしたかったから、

活躍したらお母さんが喜ぶ、だからそろそろバスケットを辞めたいなんて口にできなかった、



その時、しーちゃんのパパが、(当時、同じ会社のラグビー部キャプテン)お前みたいのがチームにいたら迷惑だって、チームのこと思ったら辞めろって。



いつもチームのことばかり考えている人だったから、そうだなぁって思えた。



お母さんに、「バスケット辞めていい?」って電話した。



「うん、ご苦労様」って、はっきり覚えていないけど、何も言わなかった。



お母さんはいつも何もいわなかった、毎試合応援にきても、何も。



今思う。



私はずっと母に見守られていたんだなぁ。



母がしてくれたことを、次しーちゃんに。。。



できたらいいなぁ。