がある時、何となく地の様子を見てたら、苦しむ罪人たちの中にカンダタ(犍多)という男を見つけた。生前のカンダタ極悪人だったが、一度だけ小さな蜘蛛を踏み殺すのを思いとどまり見逃してやったという善行を働いたことがあった。

そこで釈カンダタを何となく極楽に導いてやろうと、一本の蜘蛛の糸を地に下ろした。一散に蜘蛛の糸を登り始めるカンダタだが、ふと下を見ると数の罪人たちが自分の下から続いてくる。このままでは糸が切れてしまうと思ったカンダタが罪人たちを蹴落とそうとすると、その間糸はプツンと切れて、罪人たちは再び地に落ちてしまった。

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芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」のあらすじです。



何故お釈迦さまは切れやすい蜘蛛の糸を選んだのか、蜘蛛はその時どうしていたのか、カンダタが下にいる罪人を蹴落とさなかったら、あるいはそもそも罪人に気がつかなかったら本当に助かっていたのか、いろいろツッコミどころ満載ですが、今日私が言いたいのは助けたい人と助かりたい人の話です。



世の中には「幸せになりたい」という人がゴマンといます。ただ、その人が本当に幸せになりたいのか、そういう人を演じているのかはその人自身にもわかっていない事が多いです。



そういうと、反発したい人もいると思いますが、不幸を演じることによって自分の居場所を確保している人はたくさんいます。



「そんな訳はない!」

「人ごとだから、そんなことが言える!」

と思うでしょ?


そうです、人ごとだから言えます。だって私は幸せですから。


でも、その幸せって自分で選んでますよね?私の幸せは、私が自分は幸せだと決めたから幸せなんです。あなたはあなたの不幸を選んでいるだけなんです。



そんな訳はない!自分は本当に幸せになりたい、助かりたいと思ったらお花菜亭にお出で下さい。私はあなたを助けたいと思って待ってます。



という訳で、コーチング始めました。

美恵(よしえ)コーチングと言います。助かりたい人の為のコーチングです。

料金は一万縁ですが、初回は割引き価格の8000縁です。