バタバタと家の中の些細な片付けものしていた女性が、
やっと一息つき、椅子に腰かけ、すっーと目を閉じた。
ふっと、彼女の眼に丸くなった獣のような物体が、薄暗い風景の中に浮かんできた。
それをじっと見ていた。少しずつその姿がはっきりしてくる。
それは、地面に額をつけ、体を九の字に曲げている男性の姿だった。
それを見つめていると、その男性の影の様にして
もう一人の男性が、同じような姿でいた。
その二人の姿が、少しずつはっきりしてくる
最初に見た男性は、平安時代のような着物姿で頭を高く結っていた。
その向こうに見えていた男性は、ワイシャツを着た、まだ若い男性だった。
そして、二人とも声にならない、体の奥から振り絞るような声で
なにかを抑えるようにして泣いていた。
そして、「愛しているおることを伝えることすら許されぬのか」そんな言葉が
どこからか、その姿を見ていた彼女の耳に聞こえてきた。
それを感じたとたん、彼女の眼の前で映画のように
その着物を着た男性の物語が始まった。
高貴な家に生まれ、父と兄の姿を見て、父や兄のような強く大きな男性になりたいと
毎日、勉学や武術の稽古にとその男性は頑張っている。
彼女はそんな姿に、彼の生真面目さととまっすぐさを感じた。
彼には、同じ年頃の周りの男性たちがしている
好きな女性にうたを詠み、恋文を送ったりすることよりも
父たちに追いつくことのほうが大切だった。
ある天気の良い昼下がり、家に戻り、帰宅のあいさつをしに父の部屋へ行くと
父と同じ年代の年配の男性と若い女性が、父の前に座っていた。
彼は、いつものように父に挨拶をし、その人たちに頭を下げ、部屋を後にした。
それから、何度か、そのお客は二人で彼の家へやってきた。
その何度目かに、武術の稽古をしている彼に、そのお客の若い女性が声をかけた。
その女性は、とても聡明そうな柔らかい静かな雰囲気を持つ女性だった。
そんな彼女が、「お邪魔でなければ、ここで拝見していてよろしいですか?」と彼に尋ねた。
彼は何となく、はっきり答えることができす。小さな声で「ええ。」と言っていた。
彼には、その女性に返事が聞こえたのか、聞こえなかったのかわからなかったが、
その女性は、彼の稽古をしている姿をあきることなく静かに見ていた。
そして、次に来た時も同じように彼の稽古を見ていく。
「お邪魔でなければと・・・・」と言って
そんなことが何度か続き、幾度目かにその女性と言葉を交わす。
でも、その会話は、その女性が尋ねることに
男性が「ええ」とか「いえ」とか答えるというだけの会話だった。
そして、その女性は、彼の家に来る度に
男性を見かけると、声をかけた。
そして、年を越そうという暮れ。
家族が皆そろった夕食時に、父が、兄が来年の春に結婚することを告げた。
そして、その相手が、彼と言葉を交わすようになっていた、あの女性だということを知らされた。
兄が使えているお役の昇進が、もう少しだとわかり、それを待って結婚をすることになっていたらしい。
その昇進の時期がはっきりしたからということだった。
彼は、その話を聞き、大きく動揺した。
そして、彼女は、その話のために父親とともに、何度もこの屋敷に来ていたのだと気づく。
そして、彼の中に失望感と何か燃えるような熱いものが込み上げてきた。
彼の目の前にいる兄の姿が、一段と大きく見えた。
彼は、そんな兄をじっと見つめていた。
家族が、兄に祝いを言っていることに、はっとし、自分も祝いの言葉を言わなければと
自分の動揺を悟られないように、いつもと同じように装いながら、兄に祝いの言葉を言った。
そんな彼の言葉に「お前に祝ってもられるのが一番うれしい」と兄は素直に喜んでくれた。
これまで、兄を慕い、兄のそばで勉学や武術を習い。
兄はそんな自分にあらゆること教えてくれ、助けてくれた。
兄は、ほかの兄弟よりも自分を気にかけ、かわいがってくれていた。
そのことを彼自身とてもよく分かっていた。
なのに、なぜあの時、あんなにも動揺してしまったのか
その後に押し寄せるように、奈落の底に落とされたような失望感と
熱く燃えるような想いが込み上げてきたのか・・・
彼には分らなかった。
そして、年が明け、
兄のお務めも少し落ち着き、屋敷の中で、婚約者の女性と一緒にいる姿を見かけることが多くなる。
その二人でいる姿を見る度に、あのとき感じた失望感と燃えるような想いを彼は感じていた。
そして、ある日、友が想いを寄せる女性のことを語るのを聞きながら屋敷に帰っていた。
それほど興味もなく、聞く気もなく聞いていた。
そして、「こんなに思いを寄せておるのに…」というという友の言葉に
彼は、やっと自分の想いに気が付く。
そして、あわてた、こんな想いを持つことは許されないと思った。
そして、その想いを忘れようと、必死で今以上に自分の鍛錬へと没頭していった。
けれど、どんなことをしても消えないその想いに、
ついにあの夜、体を曲げ、頭を地面に押し当て、体から振り絞るよう声で泣いていたのだ。
その彼の物語を
自分もスクリーンに入り込み、間近で感じるようにして見ていた女性は
彼の気持が、そこから流れ出るように感じられた。
そして、そんな男性がどんな人生を送ったのか知りたいと思った。
そう思ったとたん、また、目の前に物語が始まっていた。
小さな子どもたちとかわいらしい女性と一緒に食事をしている男性
それが、あの夜、泣いていた男性だということがわかった。
前に住んでいたお屋敷ではない、少し小さいお屋敷で2人の娘と妻と幸せそうに暮らしていた。
彼は、本当に家族に優しく接し、家族を大切にしていた。
けれど、彼が必死でそうしようとしているように
見ていた女性には感じられた。
そして、突然、ガラッと場面が変わった。
年老いたその男性が、妻や娘たちに囲まれ最後の時を迎えようとしていた。
とても静かで、幸せな最期のように見えるその風景
そんな中、彼は妻に「すまなかった」と言い残し、息を引き取った。
その場面を見ていた女性は、その「すまなかった」という彼の一言で
何もかもがわかった気がした。
そして、彼と話がしたいと思った。
彼の口から彼の本当の気持ちを聞きたいと思った。
そう思ったとたん、彼が若い頃の姿で彼女の前に現れた。
彼女は、「今までの本当の気持ちをあなたの口から聞かせてください。」と言った。
彼は、驚く様子もなく話し始めた。
「兄の妻になる人に、私は知らずに想いを寄せてしまった。
今、このときになって、やっと気がついたことだが、
あの人に愛されようとか、兄から奪いたいと思ってはいなかった。
ただ、自分の気持ちを伝えたかった、伝えることを許されないと思うことが苦しかった。
偽り続けるなければならないことが苦しかった。
そのために、私をなにも疑わずに慕ってくれる妻に、まっすぐに応えることができなかった。
それが、私の中で罪として残ってしまった。自分を責め続けた。
それを償うようにして、私は、家族には優しく大きな父であり、夫であろうとした。
本当に妻は、可愛い女性だった。そんな妻をそのまま、愛せたらと何度も思っていた。
今、思えば兄の妻となった女性は、私を愛していてくれたと思う。
私のような小さな愛でない。もっと大きな気持で愛していてくれたんだと思う。
そして、彼女は私の気持ちも知っていたんではないかとも思うのだ。
だから、私が思いを告げても何も変わらなかったと思う。
けれど、もし、私がその想いを告げておれば、
私の中では、何かが変わっておったと思う。
そうしておれば、きっと彼女の気持ちを感じられ、信じることができたであろう。
そして、妻をまっすぐに愛することができたのだと思う。
私は、そのことに気がつくことができなかった。
その為に、妻を愛することもできず、自分を偽り続けなくてはならなかった。
妻は、そんな私の気持ちに気付いておったのであろうか
もし、気づいておったのであれば、本当に可哀そうなことをしてしまった。
本当に愚かで未熟であった私は・・・。
どうやって償えばよいのかわからない。
どうやってもこの想いは消えね。
その想いが、私の中でしこりのようになって残っておる。」
そんな彼の話を聞いていた女性は、ふいに
「そのしこりを私に預けてくれませんか?そうしたら、あなたは幸せに逝けるでしょ?」と言った。
そして、彼の前に手を差し出し
男性の右のわき腹にある、鉄のような玉を、彼のわき腹から抜き取ってしまった。
その途端に男性の姿は、白く透き通り、雲のように空へと流れていってしまった。
彼女は自分が、どうしてそんなことをしてしまったのかわからなかった。
ただ、彼の想いが、彼女の中の何かに触れた。
そして、彼女は、なぜか、私が終わらせると思っていた。
そして、彼女は眼を覚ました。夢を見ていたのかと思った。
そして、彼女は、右手をしっかりと握っていることに気がついた。