こんにちは。
~みんなの憲法をみんなのところへ。~
「憲法のおはなし」くぼい なみ です。

少し前になりますが9月25日(水)に、伊藤朝日太郎弁護士を講師にお迎えしての「お茶の間憲法サロン」を開催しました。

テーマは
日本国憲法と「外国人」

タイトルはこれでいいのかな、どうしようかなと迷ったのですが、「日本人」「外国人」っていうくくりを正面から考えたかったので、直球のタイトルにしてみました。


私は「憲法のおはなし」を通して、日本国憲法が国民1人ひとりの自由や権利を保障するためにあるということや、改憲案で私たちの暮らしがどう変わるかということをお話ししています。

2015年から始めてほぼ丸3年、日本国憲法で気になる点が出てきました。

それは日本国憲法に出てくる主語。

「国民」

私のお気にいり条文の13条も…
すべて国民は、個人として尊重される。

生存権の25条は…
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

です。

日本では国民しか個人として尊重されないの?健康で文化的な生活を営めるのは国民だけ?

とか

じゃあ「日本国民」って何だろう…

何をもって「日本国民」で「外国人」なのか。

これまでに日本社会の中の民族的マイノリティーや日本に来日する外国人労働者や難民の事件に関わっていらした伊藤弁護士は、その点を歴史を遡りながら詳しく説明してくれました。

憲法で使われる主語の多くが「日本国民」だということで、外国籍を持って日本に住む方々の人権保障がされていないことが多々あります。

伊藤さんのお話では、そのような案件の解決方法は優しさや善意だけではどうにもならないことがある。つまり、最終的に裁判となったときには法律や憲法で定められている決まりが重要になってくるのだそうです。

私が今回の憲法サロンを企画したのは友人や知人の置かれている状況と「国民」という主語に感じた違和感の関係を知りたかったから。

参加者してくださった方の中にはご家族や仕事の関係でお付きあいのある方々が日本国籍を持たないことで「国民」にはない待遇を受けていることに疑問を持っていらっしゃる方もいました。

参加者の方の体験や伊藤弁護士が挙げる判例や入管で起きていることなどは、私の知らなかったことばかりで言葉をなくすばかりでした。

私は憲法のおはなしをする時に「日本国民」=「私」だと考えてみましょうとお伝えしています。

じゃあ、「国民」という主語のもとでくりひろげられている数々のことについて「私」はどう思うか、どうしていきたいのか。そんなことを考えています。

全員が納得することは難しい道のりなのかもしれないけれど、日本に住む人がみんな、自分のルーツや歴史に誇りを持って、敬意を払いあって、一緒にいられたらいいと思うのです。

国籍やルーツで自由や権利に差があるなんておかしいし、誰かが誰かの人生を操っちゃいけない。

理想ばっかりのきれいごとかもしれないけれど、目指さないとたどり着けないから。

私も知らないで差別していることや、気づかないでいること、無意識に見ないようにしていることが沢山あると思います。
意地悪なときもあるし、全員と仲良くなれるなんて思っていない。

でも、だからこそ言います。

難しい話をしたいんじゃないんです。

私たちだけが幸せだったらいいのかな。



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