お茶の間憲法サロンを終えると、毎回その様子をまとめて手書きのレポートにして、友人や知人に、はたまた名刺代わりに手渡ししています。

最後には必ず私の言葉を沿えるようにしています。

今回のお茶の間憲法サロンを終えて、思ったことをあれこれ書いてみました。



私が憲法カフェに初めて参加した2014年からたったの3年で、

日本はどんどん不穏な空気を帯びてきているように感じます。

また、改憲への動きも具体的になってきました。

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戦争は、個人が国家のために犠牲になることの代表的なものですが、

身近な場面でも、多数のために少数が何かを諦めたり、

組織やしくみを維持するために個人が犠牲になったり、

様々なカタチがあって良いはずの“個”がないがしろにされるようなことが多く見られます。

そしてそれが当たり前になっていて、おかしいと言うことすらしない、できないという場面に出会うこともあります。

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そう考えてみると、私の身近で起きていることもテレビや新聞で見るようなニュースも、問題の根っこは同じことのように思えてなりません。

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日本国憲法では何よりも「個人の尊厳」が大切だとされ、“全体”のために“個”がしいたげられることのないように、一人ひとりが、それぞれの幸せのカタチを実現できるような決まりが定められています。

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この憲法が出来上がったのが長く悲惨な戦争の後だと考えると、個人が大切にされることがどれだけ貴重なことか、イメージしやすいかもしれません。

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自民党の改正草案に目を向けると、

国や家族のために“個”であることが否定され、

自分の考え方や生き方に正直でいることすら、

国からの制約を受けてしまうような決まりに変えられています。 

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例えば13条では、

「全て国民は個人として尊重される」から「人として尊重される」となっています。

個人と人、

あまり変わらないようにも思いますが、

女らしく、
男らしく、
日本人らしく

などという枠組みの中で生きることと、

私らしく生きること。

とても大きな違いがあるのではないでしょうか。

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「立憲主義」と言って、憲法という決まりで“国や権力者の暴走を防ぐ”のが本来の憲法の役割ですが、改正草案ではそれすらも“国民が守るもの”になっていて、私たちの日々の選択や生き方を支える根拠となるものがなくなってしまうかもしれないのです。

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「憲法のおはなし」を通じて色々な方と出会う中で、私が平和のためにできることって何だろうと考え続けています。丁寧に暮らすことや、違いを認めること、対話をすること。私にはまだ難しいこともあるけれど、今すぐできる方法を一つ見つけました。


それは、幸せでいると決意することです。

一人ひとりが今も未来も“幸せでいる”と強く決意することは、実はとても大きな力を持つのではないか。そう思うこの頃です。

1つひとつの幸せが大切にされる社会でありますように。