初めての「お茶の間憲法サロン」主催後の感想です。

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10月31日、武井由起子弁護士(明日の自由を守る若手弁護士の会)をお迎えして『お茶の間憲法サロン』を催しました。

7月に都内のカフェで行われた『ティーサロン憲法』参加して、『今までちゃんと知らなくて損してた!身近な友だちにもこの話をひろめたい!』と思ったのがきっかけです。
 
このようなテーマの勉強会は新聞、雑誌でも多く取り上げられています。

憲法ってなに?

から始まり、特定秘密保護法案や集団的自衛権のこと、憲法がどう変えられようとしているかを、初めての人にもわかりやすく、街のカフェやレストランでお茶やランチを楽しみながら気軽に “知ろう、話そう。” という今までになかった試みなのです。
 
最近、憲法9条のことを話す会を開こうをして、『政治的だから』という理由で協賛や会場の貸し出しを断られり、9条にまつわる俳句の掲載拒否なんて話がありました。

そもそも “政治的” ってなんでしょう?

憲法が政治的との理由で発言や集会が制限されるというのは、とても怖いことのような気がしています。

憲法を語ることが “政治的“ な話だったとして、それについて話し合えないなんて、おかしくないかなって思っています。

政治って、私たちには関係のない話なんでしょうか。

憲法ってタブー視されるようなものなんでしょうか。

お隣さんや友だちと話しちゃいけないこと?

『色んな考え方の人がいるから』触れないのではなく、色んな考えの人同士で話していかないと、一握りの人たちの手で、思わぬ方向に話が進んでいってしまうのではないかと思うのです。

 
自粛しあう空気。


私たちは何を恐れて自粛してしまうんでしょうか?

言いたいことも言えないって、
民主主義じゃないのでは!?
 
戦争が始まる前、“善良な普通の市民”が発言を自粛したり監視しあったりするようになって、いつの間にか本当に国中がものを言えない空気になっていったそうです。

今、憲法や政治について、話しづらい空気、避けようとする空気というのは、そういうことなんじゃいかと感じずにいられません。

『“いじめ”は見て見ぬふりをしても“いじめ”に加わったのと同じこと』って言いますが、まさに今、憲法や政治から目をそらすことは、この国に起きつつある何かに加担しているのと同じなんじゃじゃないかと思うのです。
 
憲法って、『みんなちがってみんないい』ための決まり

憲法って、私たちが守らないといけないものではなく、『私たち一人ひとりが人間らしく生きることを約束してくれるもの』だと教えてもらいました

憲法が私たちのものだとわかったら、目の前の世界が少し違ってみえてきましたキラキラ