ohanashiさんのブログ
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ひろうおとこ、すてるぼく


僕は黒のスーツを着て駅前のベンチに座っていた。ネクタイはおそらくファミリーレストランに忘れてきた。
どうせあまり使わないものだからどうでもいい。

時刻は夜の十時を周り、駅前ロータリーはタクシーの順番待ちをする会社員やバイト帰りの高校生らでちょっとした列ができている。
コンビニは客が入ったり出たりしていて、僕にはまるで人を造る工場のように思えた。
そんな風景を眺めている間に、僕の前を十二人が通り過ぎた。
僕は何から何まで数えてしまう癖がある。
階段の数や、スーパーで陳列された品物の数や、授業で僕の前に座った女の子の着ているニットのワンピースの毛玉の数。様々なものを数えてしまう。
この変な癖は自分にとってプラスになることもあれば、もちろんマイナスになることもある。
もしかしたら全ての人の癖というものは、その人にとってすべてプラスになることはないのかもしれない。
本当を言うとそんなことは僕にもどうだっていい話だ。

三十六人が通り過ぎた後、僕は数えるのを止めてしまった。
僕の前に一人の不思議な男が現れたからだ。
彼は熱心に路上に落ちている様々なゴミを拾っていた。
2008年の秋の午後十時過ぎにこのようなことをする男は普通ではない。
まともなことをしているが決して普通ではない。
彼は紙くずと煙草の吸い殻と得体の知れないゴミを右手で摘んでから僕の前に迫ってきた。
そしてニヤリと微笑んでから隣のベンチの肘掛けの上に満足げにそれを置いた。
僕に向けた笑みが何を意味しているのかは分からなかった。
彼はその後シャッターの閉まった不動産屋の前に立ち、シャッターに貼られた張り紙(なにが書いているのかは位置的に見えない)を一通り読んでからそれに額をくっつけた。
それから壁のくぼみの位置と自分の身長との差を確かめてから、左下に落ちていた銀紙を右手摘んで去っていった。
最後の最後まで男の行動の意味は理解できなかった。
あるいは何かを誰かに伝えたかったのかもしれないし、あるいはただのまともな神経でない男なのかもしれない。
わからないし、どっちだって構わない。

彼が去った後、僕は彼のことを考えた。
彼のことを考えると以前ドキュメンタリー番組で取り上げられた、路上に這いつくばって小銭を探し回る老人のことを思い出した。
老人は自分で傘や金具やその他のがらくたを加工して作った道具を使って巧みに小銭を探し、拾い上げる。排水溝に落ちた小銭をその道具で拾い上げる様は僕には実に衝撃的だった。
先ほどの男と老人に共通点があるといえばあるのだが、何故それを思い出したのかは僕にもわからない。

僕は煙草に火をつけ、煙を吸って、吐いた。
煙は夜の空にゆっくりと舞い上がり、いつの間にか消えていった。
僕はこの行為を八回繰り返し、おろしたて革靴の裏で煙草の火を消して、目の前の路上に捨てた。
うまくいけばあの男が明日にでも拾うかもしれない。そうでなければきっと違う誰かが拾うのだろう。
そうでなければいけない。
そうでなければこの街は足の踏み場もないくらいにゴミで溢れてしまう。
世の中は自分が思っているよりうまくできているものなのだ。
ひねくれたことを言わないで自分で吸い殻入れに捨てればいい。とあなたは思うかもしれない。
もちろん僕はポイ捨てがいけないことだってことくらい知っている。でも今の僕はそんなことを言われても誰の言うことも聞かないだろう。警察にだって食い下がるだろう。
面倒くさい。
それしか言わないだろう。

最愛の人が焼かれた日の夜に、煙草を吸い殻入れに捨てることは、僕にはとても難しいことだった。