「うわーー!」

おそらく多くの人が通ってきたことであろう、スーパー戦隊シリーズ。

僕も目を輝かせて見てきた1人で、

当時の僕は、スーパー戦隊に憧れていました。

いつか、絶対こんなヒーローになるんだ!

そう思いながら幼少期を過ごしたように思います。


【班員ヒーロー】

学修大学の部に参加した、1回目のとき、京都の河原町で路傍講演とリーフレット配りをしました。

ただただ怖かった。

多くの人に無視され、怪訝そうな顔をされ、

いつのまにか涙を流す子もいたり、冷静に周りを見れてる反面

固まってしまって、リーフレットを配ることをできなくなっていました。


そんなとき、班員だった京都教区の委員長がすごく勇んで、どんなに無視されても何度も何度も笑顔でお礼を言って、頭を下げて配り続けている姿に、憧れを抱きました。

「すげー。」

しかし、結局僕は、動けないまま終わってしまいました。


【みんなのヒーロー】

翌年の学修、動けなかったことをずっと後悔していた僕は、奈良駅でのにをいがけで、あの憧れの人みたいに勇んでやる!と、班員から遠く離れた、コンビニ前の横断歩道のところでリーフレットを配りました。どんなに断られても、笑顔で、そしてお礼を忘れず、頭を低く。よし!去年の自分を超えた!順調だ!

そう思ったとき、袈裟を着た他宗派の人に怒鳴られました。

「人の信者を取るつもりか!!」

おっと。これはまずい、何を言っても聞いても怒られる一方。

誰か助けてほしいなぁ。

ちらっと班員に目を向けると、まずい!ここみんなから離れてる!

何度もちらっと見ると、班員はガッツポーズしている。

あとで聞くと、めっちゃにをいかけてるやん!と思っていたそうです。

ちがう!ヘルプだ!!

挙げ句に杖で叩かれはじめた。

ふと、頭をよぎったのは、おやさまはもっと悲惨な時代を生きていたんだなぁ。そう思うと、にをいがけをさせてもらってることに笑みがでてきて、その人に「きしょい!」と言われた。

つくづくおやさまはすごいと思ったのです。


【学修ヒーロー】

翌年は参加できず、1年挟んでの最後の学修。

1つの班が、寮まなびに出ない可能性があるなか、とある人の1分間スピーチで前向きになれ、寮まなびに参加できたとの話を聞いた。

なにより、僕の心にもパワーを送ってくれました。

そして、寮幹事になる僕のスローガンになりました。

「たった一言で人を救える可能性がある。言葉を大事にしよう」

その話者のようになりたい!そう憧れを抱いたのです。


そして、幹事がスタートし、月日が流れたとき、ふと心の中で思うことがあったのです。

憧れの人がいっぱいいるってありがたいな。

でも、、。


【今度は、】

皆さんにとっての憧れの人はどんな人ですか?

複数人想像できる人もいるのではないでしょうか。

あの幼少期のように、あんな人になりたい!

そう思う人がいると思います。


しかし逆に、自分は誰かの憧れの人になっているのか。

こう思ったとき、このままではダメだと心が震えました。


さて、どうすればそう思ってもらえるのだろう。

そこで思い出したのが、学修のヒーローとスーパー戦隊です。


あの頃、憧れを抱いたのはなぜなのか、

自分なりに考えると3つの規則性を見つけました。


・人を助けるために行動する

・何度でも立ち向かう

・仲間に勇気を与え助け合う


この姿に憧れを抱いたのだと思います。


そして、これこそが陽気ぐらしに通じるものだと思ったのです。


【憧れてた存在から憧れられる存在に】

話は変わりますが、この身体にはどんな意味があるのだろうと考えたことがあります。

これは自分で考えたと自覚していますが、他の方がお話されていましたら、申し訳ございません。


ご守護の話に度々出てくるのは

「心臓は自分で動かしてないよね」

というお話です。

よく聞くこのお話は、もう一つ奥に、意味があるように感じました。

この世界は2つ1つです。

見える徳、見えない徳。

見える世界、見えない(空気とか)世界

見えないのに、たしかにそこにあるもの。


この身体も神様の世界です。

身体の内側にある内臓は目には通常見えません。

そして、自分ではコントロールできません。

なのに、【自分】のために動いています。


反対に、

身体の外側にある顔や手足は見えます。

そして自分でコントロールできます。

ということは、なんのためにあるのか。

内臓と併せて考えると、これは自分のためにではなく、

【他人】のために、なのではないかと思います。


そう思うと、

目でものを見分け、

鼻で嗅ぎ分け、

耳で聞き分け、

口で噛み分け、

助かりを願う人はいないか、

どの言葉が適切か、

そういうふうに存分に活用し、

足で駆けつけ、手を差し伸べ、おたすけに励むべきだと思うのです。

手は片方だけだと、握手すると2人の繋がりで終わってしまいますが、片方ずつ違う人と繋ぐと、世界の人で丸い円ができます。

ここにも、陽気ぐらし世界を目指すための身体の作りがあるように思います。


【あなたも誰かのヒーロー】

あなたにしか手を差し伸べられない人は確実にいます。

そして今度は僕たちが誰かのヒーローになるべきだと思います。

自分のどんな行動、言動が人に勇気を与えられるかはわかりません。ふとした瞬間でも誰かの勇気になる可能性があります。

かっこ悪くても、何度も何度も立ち向かい、

人の助かりを願って、駆けつけ、手を差し伸べ、導いて、教友と助け合い、おやさまを感じながら、この身体を存分に使って通らせていただきたい。

あのとき憧れたヒーローになるために。