私は2年前に実家の教会から1回目の修養科へ、そして先日、嫁ぎ先の教会から2回目の修養科を修了致しました。その2回目の修養科の3ヶ月目、最後の夕方の神殿掃除中、1回目の修養科で出会った大好きなお姉さんにばったり遭遇し、本当に本当に嬉しい気持ちでいっぱいの中、そのお姉さんからこのおはなしバトンのお話をいただきました。なんとなんと実兄が運営しているじゃありませんか!ちなみに1回目の修養科は兄も一緒で、兄と性格が真反対の私はこの修養科を通して兄の信仰者としての姿に尊敬の気持ちを持つのであります。そんな兄の運営するこちらで、2回目の修養科を終え熱が冷めやらぬ私のお話をさせてください。

私は教会で生まれましたが全然天理教のこと好きじゃありませんでした。ただ家族のことは大好きだったので、家族を裏切らないために将来は信者家庭になってもっとラフに信仰するんだ〜と心から思っていました。

私は高校で軽音学部に所属していて、それからずっとバンド活動を趣味とし、人生の生き甲斐としてきました。ネガティブな私が自信を持って自分を表現できる唯一の方法だと思っていました。1年社会人を経験しましたが、私の趣味、生き甲斐はバンドで、残業でもらう給料よりもバンド活動ができる時間の方がよっぽど大事だと会社を辞めました。

そのタイミングで実親から修養科に行きなさいと言われ、渋々来たのが1回目の修養科でした。この時私は付き合って4年の彼氏がいました。教会の次男でした。しかし色々あってどうやらこの人が教会の後継者らしい、というのが私の修養科の1ヶ月目で判明し、同時に自分の信仰心がゼロになるようなふしを見せられ、大好きな彼と全然好きじゃない天理教との間で本当に悩みましたが、この修養科でクラスの人やひのきしん場所が同じだった人、そして詰所のみんなに手を引っ張ってもらい、天理教への信仰心を養っていただきました。そしてこれからに対して前向きな気持ちになった3ヶ月目に、修養科が終わった3ヶ月後に彼と入籍することが決まりました。大きな分岐点でした。ここに修養科が無ければ、修養科での恵まれすぎたたくさんの出会いが無ければ、この覚悟は決めることが出来なかったと思います。親神様のご守護を肌で感じた3ヶ月でした。

そして結婚生活が始まり、旦那の実家の教会に住み込むことになった私は、教会がやっている里親事業(ファミリーホーム)の補助者としてお手伝いをすることになりました。いずれはこの里親事業を旦那と私が主体で運営し、そして教会を継ぐ。教会の後継者になった旦那と嫁いだ私に義両親は本当に心を尽くしてくれる毎日です。本当に感謝しかありません。

ただ私は心のどこかで、自分は彼と結婚して一般家庭となり、お互いの趣味を楽しみつつ、小さな家庭で自分たちらしい幸せを築きたかったという気持ちが残っていたんだと思います。実家ではずっと避けてきた自教会や上級教会の御用をしながら、自分にはとことん知識や経験が無く何も出来ないことに気付き恥ずかしさや情けなさでいっぱいになったり、5,6人いる里子に余裕が無くなってしまう自分に対して上手く対応している義両親や旦那を見て落ち込んだりする時、「自分はこんなことするような人間じゃないのに」と思ってしまうことがありました。たまにバンドでスタジオ練習をしたりライブをしたりする日に楽しんでいる自分を感じて、これが無くなったら自分は何にもなれない人間になってしまう、と数年先を思案して勝手に焦ったりもしていました。

そんな中で、いよいよ旦那と私で里親事業を始める話が進むことになったので、その前に修養科に、ということで、私1人でもう一度修養科に行くことになりました。「行くと決まったら頑張るしかない!」と思いつつ、落ちた自分の気持ちを掬い上げられずにいました。ただこの「いずれ私は修養科に行ってほしいと言う立場になり、言われた人はこんな気持ちになるんだということを身をもって感じているのだ」ということだけは忘れずに持っていこうと思いました。
すると、私の2回目の修養科は「これから誰かの手を引く人間」として成長していく3ヶ月だ、と言わんばかりに自分がみんなの前に立つ機会が多かった修養科へとなっていくのでした。どうやって声を掛ければ身近に天理教を感じてもらえるのか、また勇んでもらえるのか。どんな姿を見せるべきなのか。自分は今何をすべきなのか。たくさん考えたくさん行動し、そしてたくさん学びました。言わば娯楽でしか埋められなかった自分の存在意義を、天理教を通じて感じることができ、そしてそこにはまたまた本当に恵まれすぎた出会いがありました。みんなに出会えて本当に幸せで、みんなとの出会いで自分のこの道を通る決意をもう一度固めることが出来ました。そして1回目ではここまで感じられなかった、教祖の存在をぐっと感じることができた3ヶ月でもありました。

私はこれから改めて教会の人間として生活をしていき、1年も経たないうちに里親事業を始めます。この修養科も、私の新たな分岐点を支える大きな経験となりました。この3ヶ月を決して無駄にしないよう、前を向いて歩いていきます。

私は2回とも親の声により修養科へと進みました。自分の意思はどちらにもありません。自分から「行く」と言えたらこれほど素晴らしいこともないですが、私は親の声を聞き修養科へと進んだおかげでかけがえのない経験を積むことが出来ました。たとえそれが不本意であっても、やっぱり声がかかった時が旬なのだと思います。差し伸べられた手を簡単に跳ね除ける前に、もう一度立ち止まってみることで、もしかすると自分の人生を切り開くかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。