御用で親々が言ってくれることには全て素直に「はい」で通ること。2年前に修養科に行かせてもらってからの心定めです。

そう心を定めてから、不思議といろいろな御用に声をかけてもらうことが増え、修養科を終えてすぐの夏、学生時代全く参加したことがなかった学修にスタッフとして参加させていただきました。
そして2年前の秋に学生担当委員会の本部スタッフとしての御用をお与え頂き、その任期が3年ということから「この3年千日にしっかり伏せ込ませてもらいなさいよ」という親神様からのメッセージだと受けとりました。

大教会、詰所の女子青年、そして3ヶ月間のハワイ伝道庁の女子青年をさせていただき、地元で働いていた頃からは考えられない程のたくさんの方々との出会いやありがたすぎる貴重な経験をさせていただきました。


もちろん楽しく嬉しいことばかりではなく、辛く心が苦しくなる出来事もたくさんありました。その時は全く喜べず、「なんで天理教なのに…」「これをどう喜んだらいいんだろう?」「これにはどういう意味があるんですか」という不足と親神様に答えてもらいたい気持ちでいっぱいになり涙が出る日もありました。


そうした時に「これが生き節になるように」と親々がその時々に応じて、私に分かりやすく丁寧にお話をして下さいました。そのおかげで今では「あの時があったから」「あの人のおかげで今の私がある」と心からそう思い、感謝できるようになっています。

そうした節があってからより、出会わせてくれる人、起こってくること全てに意味があり、神様は全て必要な時に必要な人、物事を与えてくださるんだなぁと日々実感します。
そして、辛く苦しいことがあってもそれには絶対に意味があると今では心から思えるので、どうなるか分からない先が楽しみでもあり絶対いいようにして下さるとワクワクもします。

そう感じられるのも親々が言ってくれること、与えて下さる御用を素直に「はい」で通らせてもらう中でいろいろな節を見せてもらい、経験させてもらえたおかげだと思います。

まだまだ迷い悩むこともありますが、それが遠回りであってもその遠回りにも意味があり、いちばんいいようにして下さるのだと信じています。

素直に通ること。このおかげで今の私があり、今とても幸せで、ありがたいと思えます。

これからも当たり前のように与えてくださっている日常、そしてこの3年千日の旬におぢばで伏せ込ませてもらえることに感謝して、素直な心で通らせてもらいたいと思います!