はじめに…


このような機会をありがとうございます。あまり人様の前でお話する事はなく、また自分の話をするのも苦手なので、改めてこの機会をいただけた事、自分の信仰と向き合える機会をありがとうございます。

私は親々から『人様にお話させていただく時は、親の苦労話をさせてもらいない』と言われておりますので、親々のお話をさせていただこうと思います。

 

私の親々


私は信仰3代目になり、祖父が初代になります。共々東京にいた祖父は、自身の身上を助けていただいた事から天理教の信仰をはじめ、家族を東京の浅草大教会に残し、1人大阪へ単独布教に出られ、大阪に教会を設立。その後お助けを通して、障がい者福祉施設を開設。今は両親が勤めています。身体、精神、知的。あらゆる方のお助けに携わっております。そういった方々の自立をサポートしながら身寄りのない利用者には事業以外の用事も一手にひきうけております。

また母はこれからのお助けを思い、自分にできる事として手話の勉強を空いた時間にいつもしております。

また、ここには書けないほど本当に残酷で過酷な苦労をしてきた親々です。

 

親々からの教え


私は天理教の教えがとても好きで、教祖への感謝の気持ちが日々があふれます。自分はなぜ信仰を大切にしているかを考えた時、日々の親々の姿を見ているとその姿こそ『信仰の姿』だと感じたからです。祖父はよく『信仰さえしていれば、嫌な事も喜びかえていただける』『教祖は先人の方々へ言葉や行動で教えを伝え、人の心をあたたかくしてくださったお方。だから言葉と行動を大切にしている。どんな時もご存命の教祖と共にと思っていれば不思議と守られている事を痛感する』『御守護をいただきすぎている』とよく話をしてくれてました。

 

ふし


130年祭の三年千日がはじまった年、所属教会の奥様が60歳の若さで出直し。翌年には信仰初代の祖父も出直してしまいました。また140年祭の三年千日がはじまった年、所属の教会長が出直し、翌年には祖母も出直してしまいました。とても突然で悲しい出来事でした。考えさせられるタイミングでの出直しにまだ心はとまどっています。現在は教会長不在で、私達家族や大教会の役員先生方に支えていただき、月次祭をつとめております。

 

私が思う事


なってくることを喜ぶ心って本当は難しい。自分の思い通りに事は運んでくれる事はまず無いと思っておかないと不足の心がわいてしまうのが正直なところです。



【人が1番幸福に感じる瞬間はいつか。
 それは人の役にたった時。】

これは祖父の言葉です。

障がいの方々は誰かの助けがないと生きていけません。私たちが助けているように見えて、実は人の役に立っていると幸福をいただいているのは、お世話させていただいている側。助け合いとは、本当にお互いが助かっていると事を理解した言葉でした。

だから親々はこうまんな心は持たず喜んで目の前の人のお助けにかかるそうです。



親々は偉大でまだまだ届きませんが、同じ気持ちで日々仕事や御用を努め、自分の信仰心を高めていこうと思います。

信仰心こそ、自分の人柄になるので

仕事場でも人柄でお道のにをいをかけれるように

目の前の自分のできる事を、親々のように御存命の教祖と共に働くよふぼくとして努めていきます。