10年前の年祭でのこと。

前回の教祖130年祭の時旬、20代前半だった私は、青年会本部出版部でつとめていました。取材や原稿などで、おたすけの第一線で活躍される先生方のお話に触れる機会が多く、今まで逸話篇でしか聞いたことのなかった不思議な御守護のお話や、先生方のご苦労の体験談に、「現代でもこんな不思議な話があるんだ。教祖は本当にいるんだ。天理教ってすごい。」と感動し「いつか自分もこんなすごいおたすけ人になりたい」と思うようになりました。

気付かされたこと

そんな中、付き合っていた彼女(今の妻)のお祖母さんが病に倒れられ、意識不明で入院されました。彼女の実家は天理市にあり、彼女は毎日必死に本部神殿に足を運んでいました。一緒に参拝に行ったある日、神殿を出たところで彼女が突然泣き出しました。どうしたのか聞くと、
「なんか全然、おばあちゃんの事に触れてくれないよね。それが悲しい」
と。私はドキッとしました。
自分では気付いていました。大切な人の身内の方が生命に関わる身上なのに、たすかってもらいたいと思っていない、というか、心が向いていなかったことを。
自分の身内が倒れたならば、もっと必死にお願いし、病状も気になるはずです。結局は他人事で、私はお願いをしているフリをしていたんだと。彼女には正直な気持ちを話し、謝りました。
でも、どうしても心の底から「たすかってほしい」という気持ちになれず、「人にたすかってもらいたいと思えない自分は冷たい人間だ」「おたすけの先生方は、なぜあんなに命がけで人をたすけたいと思えたのだろう」と、おたすけ人を目指しているのにその心がない自分が情けありませんでした。

その悩みを部署の先輩に相談すると、
「それは、にをいがけ・おたすけに動いていないからだよ。何もわからなくても動く中におたすけの心が芽生えてくる。にをいがけでも、おたすけでも良いからとにかく動いてみたら」
その言葉がなぜかスッと心に治まりました。
そして、顔も分からないけれどお祖母さんにおさづけを取り次がせて頂こうと病院を訪ね、その足で病院周辺をにをいがけに回るということを繰り返していました。それがきっかけとなって休日や空いた時間には、にをいがけに出るようになりました。しかし、お祖母さんは出直されました。

不思議なたすけを求めて

それから私は、おたすけの心とは何なのか、ということに加え、教祖のお働きを感じたい、不思議な御守護をこの目で見たいと思うようになり、年祭活動仕上げの年には布教の家に入寮し、この一年間で不思議な御守護を数々とお見せいただきました。
そして教会へ戻らせていただいて8年。細々とですが時間を作って、にをいがけに歩かせていただいてきました。

にをいがかからず、おたすけもあがらない現実に、歩けない時期もたくさんありましたが、そんな中でも、とても大きな出会いがありました。それは、1年半ほど前に出会ったKさんとの出会いです。
Kさんとは、教祖のお働きをはっきりと感じさせていただける本当に不思議な出会い方だったんですが、出会ってからすぐに毎日教会の朝夕のおつとめに来られるようになり、自ら信仰を求めて別席を運ばれ、昨年5月にようぼくになられました。
そしてそのおさづけ拝戴の日というのが、奇しくもお祖母さんの十年祭の日で、他の都合を考えてもどうしてもその日におさづけを拝戴するようになっていたことに気付いたときは、お祖母さんから「今のまま進みなさい」と背中を押していただいているように思いました。そしてKさんは、自ら修養科を志願し、11月には修了されました。

おたすけとは。

お祖母さんは私に「おたすけの心とは何なのか」という道を求める心を遺してくださったと思っています。
しかし、10年経った今も、まだ答えはみつかっておらず、周りのおたすけ人や、心配りの行き届いた方の姿をみると素晴らしいなと思うと同時に、自分の未熟さを感じます。

少しずつでも動き続けること。
これが真のおたすけ人に近づける道だと信じて、今日も歩かせていただきます。