始めに

皆さま、日々の御用、お仕事お疲れ様です。
バトンを受け取りましたのでお話をつとめさせていただきます。
拙い文章になりますが、よろしくお願いいたします。

現在、天理教内では教祖百四十年祭に向けての三年千日真っ只中です。皆様方には、日々大変忙しく歩まれていることかと存じます。我々青年会員に於きましては、青年会の活動方針『心を澄ます毎日を。』をもとに、日々心の成人に励ませていただいておりますが、この活動方針について私の思うところをお話したいと思います。


「心を澄ます」為には「喜び」の心が大切。

心を澄ますとは、『ほこりを減らし、誠を増やす』ことだと、立教186年11月25日、第97回天理教青年会総会にて中山大亮青年会長様は仰っていました。更に続けて、『ほこりを減らすには、自分に矢印を向け、自分が積んだほこりに気付き、それをできるだけ減らすことが大切』というお話をしてくださいました。『ほこりを減らす』ことは、私自身も課題にしていたので、お話を聞かせていただいた時は嬉しく思いました。では、ほこりを減らし、心の成人をする為にはどうすればいいのか。私は何をするにも、どんな時でもこのお道を喜んで通らせていただくことが大事なのかなと思います。自分の思うような結果が伴わなくてそこで不足してしまったとしても、喜びに変えていくことが大事なのです。
そこで、『喜ぶ』についていろいろと調べてみました。勉強熱心な方はもう既にご存知かもしれませんが、『喜』という漢字は元々、古代中国で使われていた甲骨文字からきていました。約4000年も昔の話です。由来は、『鼓を打って神を喜ばせる意。神を喜ばせることが、神様に御馳走を供え、歌って祈ることで、次第に大衆自身が喜ぶようになった』とあります。私は調べてみて驚きました。天理教立教よりはるか昔に、御供えと歌で神様を喜ばせる儀式があり、そこから『喜』という漢字が生まれたのです。これだけでもう嬉しくないですか?そう思うのは私だけでしょうか?人間ははるか昔から、神様に喜んで貰えるように日々働いていたと思うと、とても励みになります。


神様が喜ぶのは「喜び」の心に変えていく「努力」をする姿勢

少し話は変わりますが、皆さまは『何事も喜んで通らなければ!』と思っていませんか?私はいまだに呪文のように繰り返してしまう時があります。しかし、それがとてもしんどくなることがあります。喜ぼうと思えば思うほど、何故か喜べなくなっていきます。この『喜ばなければ!』という思考が、なんとなく喜べていないように思いませんか?勿論、喜ぼうと思う為の最初には、それなりの努力が必要だと思います。そしてその努力が、努力ではなく自然に喜びへ変えられる心へと成人させていただけるのだとも思います。でも『喜ばなければ!』ではなく、『どうすれば喜べたかな?』と、自らを省みて次に活かす方が、切り替えやすく前向きに感じませんか?そこで一つ紹介したい歌があります。
『チキンライス』という歌は御存じでしょうか?ダウンタウンさんと槇原敬之さんがコラボして歌われたものです。その歌詞に、『親孝行って何って考える。でもそうやって考えることがもう親孝行なのかもしれない。』という歌詞があります。私はこの歌詞がすごく好きなのですが、最近これがすごく励みになるなと感じました。たしかに、親目線で見ると、親孝行しようと考えてくれている子の姿は、とても可愛く見えるように思います。
教祖の口伝に、
「喜べないような日もあろう。喜びにかえて通らせてもらうのやで」
「日々通る中にどんな中もあらう。難儀な中、むつかしい中。そのならん中を喜びにかえて通ってくれ。その中に御守護がいただけるのや。無理と思うてはいかんで。無理と思うやないで。無理と思えば無理になってしまうで。心通りの御守護下さるのやからさらさらに思うやないで」
 と、あります。教祖ですから分かっていて当然なのだと思いますが、難儀なこともあるだろうとご理解いただいた上で、喜びに変えてほしいと言葉にしてくださっています。ということは、どうすれば喜べるか考えている子の姿は、それだけで親に喜んでいただける姿なのではないでしょうか。喜ぼうとするだけで親神様、教祖に喜んでいただける、これなら出来そうです。無理だと思って拒絶してしまう前に、考えてもしょうがないと切り替えることも大事なのかもしれません。勿論そこで喜べたら、喜びに変えられたら尚良いでしょう。


「どうしても喜べない時は?」

私はこんな風に、喜び方を日々考えております。なぜか、そうしていると同じような悩みを持った方や仲間が見つかります。私はその時、この悩みを持っているのは自分だけではないと気付き、神様に励ましていただいております。皆、同じように悩んでいるのです。私の話を読んでみて、それでも喜べない方、苦しんでいる方がいるかと思います。全然喜べない時は、どんな教えもお諭しも、教祖のひながたも響いてこないと思います。私も経験したので分かります。いくら心に思っても喜べない時は、『しょうがない!』と開き直って、一度ひながたを忘れて過ごすことをしてみてください。ふとした時、『あれ?今自然と喜べたな』と、驚く瞬間がきっと表れますよ。最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

心さいすきやかすんだことならば
どんな事てもたのしみばかり (14-50)