将棋・順位戦の面白さ・その2(2023.12.9) | 東京の四季(庭園&公園)のブログ

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◆将棋・順位戦の面白さ・その2

 

◆「順位戦」は第7期(1953年度)から5クラスに増やされて現在の形になりました。

・A級・・・・・八段

・B級1組・・・七段

・B級2組・・・六段

・C級1組・・・五段

・C級2組・・・四段

・奨励会三段

◆1972年まで基本的に昇段は1年に1回開催される「順位戦」で上位のクラスに昇級することだけでありました。従がって段位が実力と近かったと言えるかもしれませんが、成績が揮わないと降級してしまうのでA級八段であった棋士がC級2組に所属するという例も昔から有った訳で、棋士の実力の凡その目安は年齢と順位戦のクラスと段位で推し量るという点では今も昔もあまり変わりません。

◆また、将棋界は長らく八段が最高位で1950年にタイトル戦として「九段戦」(その後、十段戦を経て竜王戦に)が創設され、塚田正夫八段が3連覇して永世九段の資格を得、続いて「九段」のタイトルを獲得した升田幸三と大山康晴が昇段規定の改定により段位としての九段に昇段したことにより九段は3名となりました。また、「名人」は別格で段位を超越した存在と考えられていたようで名人は九段戦に参加せず、木村義雄名人の段位は八段のままという不思議な事態に。

◆九段が3名しかいないという現実は、会合等で囲碁棋士と同席した場合、段位によって待遇に差を付けられることがあったとのことで1973年になって将棋界も囲碁界に倣って「九段」を増やそうということになり、これによって八段以下の昇段も昇級し易い規定が盛り込まれました。この1973年制定の規定により二上達也、加藤一二三、丸田祐三、中原誠の4名が新規定該当(30点規定)で九段に昇段、1974年内藤国雄がタイトル獲得3期で九段に昇段、その後、過去の功績により大野源一、花村元治、坂口允彦、灘蓮照が九段に。1979年に6年ぶりに米長邦雄、有吉道夫が30点規定により九段に昇段など九段がどんどん増えて現在現役の九段は32名。比率は約19%で八段も32名で同数。最も多いのは七段の46名で全体の約27%、六段は20名、約12%、五段22名、約13%、四段16名、約10%(現在の現役棋士は168名のようです)

◆将棋棋士は現在168名のようですがプロ棋士第1号(棋士番号1番)は金易二郎名誉九段、第2号が木村義雄14世名人。最新の棋士は棋士番号340番の上野裕寿四段。歴代の棋士の内約半数が現役ということになりますから棋士の人数はうなぎ上りで1953年度に「順位戦」が発足した第7期ではC級2組が13名であったものが現在55名、C級1組が13名から31名、B級2組が9名から28名と3クラス合計で79名も増えています。棋士は通常60歳くらいまで現役でいられますから20歳で棋士になれば40年くらい現役でいられる訳でサラリーマンとほぼ同じ。息長く現役を続けられる職業と言えそうです。

◆ただし、棋士が増え続けると対局料などの人件費が増え続けることになりますから、主に新聞社等の棋戦開催の主催者との契約料で運営している「公益社団法人・日本将棋連盟」としては棋士の人数の増加に合わせて契約料を増額して貰う必要がありますが世の中甘くありません。実際、1976年には名人戦の契約金について朝日新聞社と争いになり主催者が毎日新聞社に戻ったり、2008年には朝日新聞社が名人戦の主催を奪還しようと契約金を積んだのでしょう主催者の変更を毎日新聞社に通告したことで毎日新聞社が怒りを爆発させて日本将棋連盟の不義理を糾弾するという事態になりました。この時の日本将棋連盟は破産の状態に近かったようです。結局のところ名人戦は朝日新聞社と毎日新聞社の共催となって一件落着。

◆棋士の増加は「その1」に記しましたが1977年から1978年にかけて一挙に15名が棋士になったことが大きく影響しているようです。その後1987年度に奨励会三段リーグが創設され前期2名、後期2名、計4名が新たな棋士になることになりましたが、引退棋士が少なく棋士人数の増加が続いたようです。このためでしょう1994年にフリークラスが創設されC級2組で降級点を3回取得した棋士はフリークラスに編入され10年以内にC級2組に復帰出来ない場合は「引退」という言わば「強制引退」と呼べそうな制度が付されました。40歳でフリークラスに落ちた棋士は50歳で引退ということになります。この制度が導入されてからは棋士の増加に歯止めが掛かり、現在はほぼ一定に保たれているようです。自らフリークラス編入を希望した棋士に対する優遇措置があったりして複雑な制度ですが大雑把に言うと60歳を過ぎてC級2組から陥落した棋士は引退、フリークラス宣言した棋士(自らフリークラス編入を希望した棋士)の定年は65歳というのが基本原則で個人によって現役が数年延びる条件があります。森内俊之九段の場合は46歳の時にB級1組で宣言。49歳未満の条件が適用されて15年間フリークラスに在籍可能。これにB級1組からC級2組を経てフリークラスに陥落するまで最短8年掛かるので15年経過後も満65歳になった年度が終了するまで現役を続けることが出来ます。

◆現在60歳以上の棋士で順位戦に参加している棋士は7名いますが今年度で引退になりそうなのは青野照市九段(70歳)のみになりそう。フリークラスでは2名が引退になりそうなので都合3名が引退予定となりますから来年度は1名増ということになりましょうか。

◆前置きが長くなりましたが、さて、「順位戦の面白さ」。A級とB級1組は総当たりのリーグ戦ですから恨みっこ無しですが同成績の場合は順位が優先するというルールが面白さを大きく増幅させています。これが「順位戦」の呼称の源でありましょう。A級の場合の挑戦権争いは同星の場合プレーオフになりますが同星が3名以上の場合はパラマス方式となるので順位が影響して来ます。B級2組の以下は各人10局ずつなのでクジ運が大きく影響して昇級候補の強豪や苦手との対局が組まれたりすることもあり、昇級候補者同士の直接対決も組まれたりもしますから対戦表を見て一喜一憂ということもあるに相違ありません。人数が多いので同星も多く出る理屈で、これに順位の差が昇級争い、降級点争いに影響を及ぼします。順位が上位だと全ての面で有利になりますが、順位上位者が昇級するかというと、そうではなく、下位の棋士が飛び越えて行く例が多く見られます。2年続けて好調を保つことが難しかったり昇級候補同士の直接対決など星の潰し合いもあるでしょう。ファンとしては順位戦が始まると毎月ハラハラし、ガッツ・ポーズが出たり、悲鳴が出たり、一喜一憂の連続となることでしょう。

◆A級では故大山康晴15世名人が「A級から落ちたら引退」と公言していましたが、これに対し升田幸三九段は「落ちたら引退などとケチなことは言わん。敗け越したら引退」と壮言。実際升田九段は休場を繰り返しつつも勝ち越しを続けましたが1975年度の第30期で4勝5敗で初の負け越し。リーグ戦終了時は58歳になっていましたが引退はぜず。1976年度は名人戦の契約金を巡る朝日新聞社との紛争があって順位戦・名人戦は中止となり

翌第36期(名人戦と期を合わせるため31~35期は存在せず)と第37期は連続して休場。第37期が終了した時点で引退を表明。時に61歳になったばかり。口に出したことは大体実行して来た人ですが、流石の大言壮語居士も60歳還暦まではA級棋士でいたいという願望というか見栄のような心理が働いたのでしょう。

◆大山康晴15世名人はA級在籍連続44期(内、名人18期)、69歳の時の第51期で1回戦で田中虎彦八段に敗れた後病状悪化。7月26日に逝去したので生涯現役A級棋士でありましたがA級陥落危機は4回ありました。

①1982年度の第41期・4勝5敗

 2勝1敗から4連敗して2勝5敗となりましたが締め括りで降級を争っていた二上達也九段と内藤国雄王位を破って4勝5敗。陥落したのは3勝6敗の大内延介八段と二上達也九段の2名。他に3勝6敗は森安秀光八段、4勝5敗は大山15世の下に内藤国雄王位、森けい二八段がいたので下から5番目でしたが二上九段に敗れていると降級になっていたという危ない年でした。

1987年度の第46期・3勝6敗

 2勝2敗の出だしから3連敗して2勝5敗。8回戦で降級を争っていた森けい二八段に勝って3勝5敗。この時点で1勝7敗の有吉道夫八段と2勝6敗の森けい二八段の陥落が決定。大山15世は9回戦で米長邦雄九段に破れましたが辛うじて残留。8回戦が終了して大山15世の残留が決まると後援会本部では安堵の涙を流した後援者が出たとのこと。

1989年度の第48期4勝5敗

 この期は混戦になり降級となったのは3勝6敗の桐山清澄九段と4勝5敗の田中虎彦八段。結果的に大山15世は4勝5敗の棋士の中では順位トップでしたが最終戦の桐山清澄九段に敗れると代わって降級となるピンチでした。

④1990年度の第49期4勝5敗

 この期は出だしから5連敗。流石の巨人もこれまでかと思われましたが南芳一九段、内藤国雄九段、青野照市八段、真部一男八段と4連勝して残留。降級となったのは1勝8敗の真部八段と2勝7敗の青野八段。

 ※大山15世名人の4例を見ただけでも有ったように直接対決で勝った方が昇級あるいは残留、敗けた方が昇級逃がしあるいは降級という勝負が各クラスで毎年繰り広げられるので終盤戦、特に最終戦は一段とドラマ性が高まり昂奮させられます。「順位戦」の醍醐味と言えましょう。