日曜日。モエモエと会う前に、こんなド真面目な講演会に参加してきました。

中村彰彦氏(歴史家)の講演会
「白河から明治維新へ」

私、ずーっと、白河って戊辰戦争のときは殿様も家来もいなくて(厳密にいうと、当時の殿様がポカやっちゃって、棚倉藩に飛ばされて、二本松藩の預かりになっていて)

そのくせ戦場になって、ボロボロになっちゃって、会津藩みたいな武勇伝もないし、なんだかかっちょわるーいなんて思っていたの。

ところが、実はがんばっていた!



それは、桑名藩に転封してたから。・・・桑名藩の武士として戦っていた!

(なんで桑名藩に転封になったかというと、これはあの松平定信がぽかやっちゃって、つまり、江戸湾防衛のために白河藩を房総に配置したりなんかして借金だらけになっちゃって、息子の代で鞍替えさせてもらったらしい)

だから、戊辰戦争時代の桑名藩の武士とは、白河藩の武士のこと。

脱藩して、新潟へ渡り、会津、最後は函館まで戦いに行っちゃった。

かなり強くて有名だったみたいです。

そんなわけで、いなくなった白河藩のサムライたち、ちょっと誇りに思いました。

今度、三重県の桑名まで行ってみたいな。

白河のみなさんへのプチ情報でした~

以下、ネットで見つけた情報。
http://hagakurecafe.gozaru.jp/oedo18han.html

桑名藩主の松平定敬(さだあき)は、鳥羽伏見の時に京都所司代だったお人

そのためもちろん幕府側

で、定敬は徳川慶喜と大阪城へ行き、そこから江戸へ逃げる時も一緒に行動をともにしました

ということで、鳥羽伏見の戦いでは幕府軍が将軍逃走という大負けをくらいました

桑名藩では官軍がやってくるというニュースを聞くと、すぐさま官軍を迎え撃とう!という意見と、いやいや、城を明け渡して降伏しよう!と、議論しまくり

そしてなんと!

最後はくじ引きで決めることにしたのであります

くじ引きの結果は徹底抗戦

が、「でも、それじゃあ朝敵になっちゃうよ」と言い出す人がいて、結局くじ引きの意味なし

こうして議論はずっと続き、とうとう城を明け渡し、官軍に従うという意見に決定

でも、絶対に熱い奴はいる

熱い一派は徹底抗戦を主張し、脱藩して江戸へ向かいました

江戸には慶喜と一緒に、藩主の定敬がいるからね

ちなみに定敬は徹底抗戦派で、江戸に帰ってきても慶喜に軍を立て直して戦うよう言っていた

そこへ脱藩した藩士たちがわんさかやってきたのでさらにヒートアップ

ということで、桑名藩の人々は、以後彰義隊に入ったりと、戊辰戦争をずっと戦い続けるのです

桑名藩の熱い志士たちは、箱舘戦争にまで戦い抜きました

定敬も最後まで頑張ったんだけど、箱舘まで説得にやってきた酒井孫八郎の願いを聞き入れとうとう降伏したのであります