「オハナ」って知ってる?
ハワイ語で家族って意味なんだって![]()
オハナは家族 家族はいつもそばにいる たとえ何があっても![]()
(4話) 糖尿病と診断されて
父が退院するとき、母はドクターから 「家に戻ったら、なるべく早く内科の医師を尋ね検査をするように。」 と進められたそうだ。
数日後、父は市内の内科病院の医師を尋ね検査をした。
診断結果は 「糖尿病」 症状はなかり進んでいた…
週に1回の通院。 薬の処方。 そして食事の指導があった。
その時から父は毎日欠かさず薬を飲むようになりました…
まだ本人もそれほど深刻に考えていなく 「あっけらかん」 と今まで通りの生活を送っていた。
でも、糖尿病は元気な父を横目に、少しずつ、少しずつ体に入り込み蝕んでいたのです…。
※次回は (5話) 免許更新 です。
(3話) 目がみえにくい ~昭和56年:白内障~糖尿病と診断~
日々、山仕事で汗を流す元気な父が 「目が見えにくい」 と母に話したのは、
昭和56年のことだった。
県内の日本赤十字病院へ足を運び、診察を受けた父は、担当のドクターから
「左目の視力が著しく低下している」 「視力がほとんど無い状態だ」
と告げられた…。 白内障だった。
ドクターの説明で人工水晶体を入れれば視力が少し回復することを知り、父は手術を受けることを決めた。
早速、入院して検査。 そして体調管理を行なって父は目の手術を受けた。
手術は局部麻酔で意識のある状態だった後から父に教えてもらった。
左目の睫毛が根元まで短く切られた父の目をぼんやりと今も覚えている…
ドクターより 「左目の視力がほとんど無い」 と告げられたとき、また 「目の手術」 そのとき父は何を感じ、何を思ったのだろう…
そして、母はどんなに不安に思っただろう…
※次は (4話) 糖尿病と診断されて です。
(2話) 父のあだなは「ガンテツ」 ~昭和51年 大阪から福井へ~
父と母、そして私は大阪府より福井県に引っ越してきた。
昭和51年のことだ。
大阪で食堂を経営していた父は福井県にUターン後、母の兄弟の紹介で森林組合に席を置き、伯父達と一緒に山仕事を始めた。
この頃、父に「ガンテツ」とあだ名が付いた。「ガンテツ」の由来は単純だ、性が「石川」名が「哲雄」 何よりも、父の性格が頑固で融通の利かない所に名前を掛け合わせ、伯父は伯母から「ガンテツっつあん!」と呼ばれるようになったようだ。
そんな、頑固で融通の利かない「ガンテツっあん!」は、家族の為に一生懸命働く明るくて料理が好きでジョークも上手い頼もしい父だった。
体を使うキツイ山仕事で100キロ近くあった父の体重は80キロ程に絞られたと母は言う。
確かに大阪の店前で母と並び私を抱いて笑顔で写る父の写真は恰幅がいい!
しかし80キロの父は決して「やつれた」のではなく山仕事を始めて余分な脂肪が落ち、代わりに筋肉がついたのだ。
白いランニングシャツに作業ズボン、そしてピンクのタオルで鉢巻をした父の写真は筋肉質でとてもたくましい!
まだ子供だった私は、仕事から帰った父の腕にぶら下がったり、力瘤を作ってとせがんだりしたのを覚えている。
この時期から少しずつ病気は父に近寄ってきていたのかも知れません…。
※次回は (3話) 目が見えにくい です。
