【習ひつつ 見てこそ習へ 習わずに 善悪言うは 愚かなりけれ:千利休】

物事は極めてこそ語るが相応しく美しい。極めず、知らずして語られた言葉は、重みにかける。道にはいらず、学ばず、善し悪しを語ることは己の器の小ささ、いたらなさを露呈する。

習い、人の振りを見、確かめ、さらに自身で深め、身につけていく。学び、実践し、確かめ、極めた立場において知る、みえる、言えることにこそ、価値がある。

アドバイスをする、批評する、論じる。責任が伴う行為には確かに築いた実績と器がよりそい支えとなる。その姿に人は魅了されるものです。


織田信長が家康殿をもてなした安土城の献立や将軍への献上儀礼、中世の食文化に関する解説書「信長のおもてなし」。彼が千利休に分け与えた名香木のエピソードが奥深い。

この香木 蘭奢侍は東大寺所蔵の聖武天皇の遺品で、天下人のみ触れることが許された天下一品の香り。切腹の際、名物茶器とともに炎に身を委ねた彼は、千利休 自慢の香炉で体感した蘭奢侍の香りと茶会の日のことを思い返したことでしょう。

千利休は、信長の人柄に惚れていたのだろうな。ふと、利休百首の好きな言葉を思いだした読書でした。武家茶、落ちついたら再開しよう。

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