今回は、時間の関係でユヴァスキュラにあるアルヴァ・アールト博物館は見ることができなかった。


でもひとつ幸運だったのは、ユヴァスキュラからセイナッツァロへのバスで隣に乗り合わせた女性がここの学芸員さんだったのだ。短い時間だったけれど、色々と話を聞くことができた。


彼女はユヴァスキュラの生まれで、元々建築を専攻していたわけではないが、博物館で働いているうちに興味が高じ、建築史の学位を取ろうとしているところだそう。


タウンホール、実験住宅等の見学ツアーの案内をすることもあるとのこと。
「建築やってる人はマニアックなこと質問してくるから大変じゃないか?」と聞いたら、
「建築のことは知らないことも多いけど、アールトの建築のことは隅々まで知ってるから大丈夫!大抵の質問には答えられるわ。構造設計のことを聞かれたときだけは分からないこともあるけどね(笑)」とのこと。すごい。これがプロだな。


アールト建築の幾つかのエピソードを教えてもらったが(セイナツァロのタウンホールの屋根は銅版葺きの予定が途中で鋼製屋根に変更になった、実験住宅の裏口はパリのメゾン・カレのミニチュア版になっている、等)、確かにただ建物を見ただけじゃ気づかないことばかりだった。


国民年金会館で聞いた建物管理者の話からは、とにかく建物に愛着を持って使ってあげようとしているように感じたが、このひとはアールト財団の人間なので、「アールト大好き!」ではなく、1歩引いて建築の価値がなんなのかを客観的に捉えようとしているという印象を受けた。この視点の違いが面白かった。

この後、また違う形で建物を残す役割を与えられた人にも出会うことになる。


写真は、このひとに「時間があるならセイナツァロからムーラッツァロまでは歩いても行けるよ~気持良いよ!」と進められて歩いてみたときのもの。バスで10~20分のところ、歩くと1時間程度かかったけれど、満たされた気持ちになれた。