その2

では、語っていれば良いのかというとそうでもない

身体は変化を求めている。

ある意味、もとの状態に戻りたい
でもあえて変化を見せる事で心、魂への変化を促す。

心に語り、身体に語る。
身体を感じ、心に伝える。

見えたり聞こえたりしない、これを長い間基本としてきた。
もうそれも手放すけどね。そのためもあって、いかに感じるかというのを磨いてきた。

色は、文字で見る(知りたい人は聞いて)
そのままを見ない。
言葉が必要なときな、あいての口を使う。
フィルターを使っているわけだ。

そしてつたえる。
ここはできるだけストレートに伝える。

身体は素直さを求める。

エネルギーを流す。変化を見る。

必要な言葉を身体に流す。

反応をみて、表情を見て、変化を眺める。

見ようとすると流される。

人は、自分を、そして相手を騙して生きている。
悪いことではない、必要だから自分を偽る。
我慢するために、そしてここで生きるために。

変化を恐れるからでもあるだろう。

では折角なので、すこし難しく語ってみよう

人は変化を恐れるがゆえに魂を自らの檻に入れることによって自分を封印する。

また、自分を知られるのが恐ろしいゆえに、他人の発する情報を
引用し、伝える手段に利用する。
責任を取るのを拒否するためにのみ利用する。

情報を操作し、変えてあげたいと言葉を発しながら、魂に錨をつける。
心と身体を縛り、自らの存在のために利用する。
アレンジを拒む。



平易に書いてみよう

人は変化を恐れる。
自分では何も出来ないし変われないと思っている
自分もそうだし、向かい合っているあなたも同じだ。
自分の心や考え方を変化させないようにしたいと思っているために
自分で自分のための檻をつくって自ら入ってしまう。
自分で鍵を握っていながら手を開くことをしない。
そして鍵が見えない、見つからないと嘆く。
手を開くことを提案しても、鍵探しとつながらないのか、私は鍵を探しているんですという答えしか返ってこないことが多い。
封印を解く鍵はそこにあるということを理解しているゆえに
手を開くこことを拒み続ける。


自分に自信が無いために、人の言葉を引用してつかう。
薄っぺらい自分を見せないようにする。
〇〇さんの本にはこう書いてあった、講演会でこんな話を聞いた
◇◇をやってみたけど、うまくいかない、これが出来るようになれば
もっといろいろやってあげられるのに。
出来ない理由を語るのは簡単だ。変化を拒み続ければよい。
やって出来なければ、自分にできる方法を探せばよい
聞いてまわれば良い。きっと自分に合ったやり方はみつかる。
でもそれを提案しても本に書いてあることと違うので出来ません
みたいな答えが多いね。


楽になって欲しい、それだけでこれをやってます。
でも人間はそんなに簡単には楽にならないものだよ
だってこの◇◇を私でさえマスターできないのだから
(あなたに出来っこない、心も身体もそう簡単には変われないよ)
書いてある通りにしか出来ない。
プリン(海軍カレーのほうがイメージしやすいかな)
が食べたいという(今まで見たことも食べたこともないという前提)
一つの古いレシピを見つけて必死に再現したいと思い実行する
でも手順は書いてあるが数量や時間が書いてない
買ってきて、もしくはもらってきて食べてみれば良いのに。
作り方を知っている人に聞けばいいのに。
何故か古いレシピにこだわる。伝説のプリンなんだろうか。


さらに続くかな