狂言だったかな
弟子が練習している姿をみて 師匠が放った言葉
修行の中にこそ 本物がある
必死に、努力している姿 そこにこそ ということだろうか
それとも、観客のない 無心になれる時だからだろうか
この言葉を聞いたときから
どのような思いで師匠は呟いたのかと ときに触れて考える
今のところ 師匠と呼ぶ存在はいない(と、勝手に思っている)
教えを請うことは、もちろんある。そういう意味では
雑談相手、すれ違いざまに言葉を聞かせてくれたひと、カフェの隣で笑っている人でさえ
素晴らしい教えを与えてくれる存在ではある。
子供の頃 刀剣を造る道に進みたいと思ったことがある
厳しい修行の毎日
刀を鍛えた最後に焼入れをするための水につける
そしてその水はただの水ではなく、独自の秘伝中の秘伝
弟子がその秘密を知りたくて、勝手に水に手を入れて探ろうとした時に
師匠はその腕を切り落としてしまったという
あーおれはおそらく、知りたくて知りたくて 手を浸けてしまうだろうと思った