こんにちは。昨日も今日も小雨、やっと梅雨らしくなりました。でも、台風が近づいてきているとか、どうぞ暴れませんように・・・。


ところで、ご無沙汰している間に、いろいろなことがありました。そこで、今日は気になったことを書いてみます。


まずはAKBの総選挙です。初めてテレビの開票状況を見ました。会場はたくさんのファンで、熱気に包まれているようでした。私がいちばんに関心を持ったのはスピーチです。番号が発表され、名前が呼ばれ、ステージに立ちます。初めに「○○○の▽▽△△です。ありがとうございました」とおじぎをします。続いて、これまでを振り返って、先輩や仲間に感謝の気持ちを伝えたり、今後の抱負、考えていることなどを話します。


挨拶をした後、きちんとおじぎをします。

「これって、新入社員研修で、我々が教えていることだ!」

みんな、一所懸命語っていました。気持ちがあふれていました。もしかしたら、スピーチの教育を受けているのかもしれませんね。



次に気になったのは日経新聞の小さな記事です。

「81歳ネパール人、登頂断念  三浦さんの記録守られる」


ネパールのシェルチャンさんは、三浦さんが3度目のエベレスト登頂に挑戦すると聞いて、自分も登頂を目指していたのですが、断念しました。その理由は、ネパール政府の資金援助の決定が遅れ、登頂のタイミングを逸したとのことです。


エベレスト登頂は体力だけではないのですね。ちょっと、可哀想な気がしました。三浦さんも、きっと、残念に思っているでしょうね。


AKBの歌手たちも、エベレストを目指す冒険家や登山家も、共通しているのは「挑戦」と「努力」と「協力」でしょうか。


高任和夫著『生き方の流儀 28人の達人たちに訊く』(2010年4月講談社)の中で、三浦雄一郎は語っています。65歳のときの決心です。

「でもおやじが99歳でモンブランを滑って、息子がオリンピックに2回行っている。人間って波はあって、どん底のときはぼんやりしているけれど、ああ、おれも何かしなきゃということから始まったのがエベレストなんです」


私とはスケールは違うけど、「何とかしなくちゃ」という気にさせられました。


では、今日はこれで。 おしょうさんより。


お元気ですか? おしょうさんです。寒暖の差が激しいですね。身近に高齢者がおいでの方は、気をつけて差し上げてくださいね。


さて、私は「複写はがき一日一信の会」の代表をしています。その関係で会員からのお便りもたくさん頂きます。複写はがきを初めて使う会員からのはがきは特にうれしいです。「複写はがき第1号は庄司さんに」と書いてくださる方が多いです。いつも感激しています。


Y子さんは会員になって5年目を迎えます。いつも楽しい便りをくださいます。

ところが、3月末の早朝、駅で転倒し、救急車で病院に運ばれました。膝のお皿が真っ二つに割れ、手術。退院まで、私たちは、はがきやメールでお便りを交換しました。頂く文章の面白いこと! 一部抜粋してご紹介します。


・今日は日曜日、いつもに輪をかけた暇具合、静かな一日、今、午後3時15分、勝手におやつを食べて、あとは夕食を待つのみのお気楽極楽な世界です。


・(二週間ぶりの外出から帰って)私自身も歩くのも危ないし、外の世界はキラキラまぶしく騒がしく、早く戻りたい気分になってしまいました。そして何と、自分のベッドにもぐりこんでほっとした気分に。まるでここが私の帰る場所みたいな気分になってしまったのには自分でもびっくり。「外出すると、戻ってくるのがいやになるのに」…と言われました。


・迎えの車で明日午後、退院することになりました。もう少し、お姫様生活(三食昼寝つき、テレビ見放題、ちやほやされている)をと思っていましたが…。

お姫様生活が下女に戻るのは、ジェットコスターに乗るようなものです。確かに期待と不安が…略…


とても辛い状況だと思うのですが、自分を客観的にみて、笑い飛ばす。とても私にはできないなあと思いました。きっと、そうすることで、自分を励ましていたのかもしれないと、今になって思います。


出歩くことが好きなY子さん、早くあちこちに出かけられるようになったらいいなあ。早速、今日、お便りしてみます。


では、今日はこの辺で。  おしょうさんより。




おしょうさんです。連休が終わりました。なかなか休日モードから抜け出せません。皆さんは、どんな休日を過ごしましたか?


さて、前回は「一日一信の会便り」から「はがきによる面授」という題で、複写はがきのお話を掲載させていただきました。今日は歌舞伎のお話をお伝えします。会員のSさんは歌舞伎が好きです。なぜ、好きになったのでしょうか。


     私と歌舞伎~江戸ッ子の母に連れられて~

       

3年ぶりに新歌舞伎座が4月にオープンした。中旬に娘と行った。地下鉄東銀座駅から続いて地下広場を通り、エスカレーターで歌舞伎座に入れるのがいい。劇場内もエスカレーターがついている。座席は以前に比べ、前後左右、少し余裕ができるようになった。

 

 当分は杮葺落し(こけらおとし)で、演しもの(だしもの)は、三部制になっている。私たちは、第二部の『弁天娘女男白浪』と舞踊劇『将門』を観た。前者は「知らざあ言って聞かせやしょう」でお馴染みの弁天小僧のお話である。弁天小僧を人間国宝の尾上菊五郎。良家のお嬢様で、店に買い物に入ったが、実は…。菊五郎の熟練した芸の面白さに観客は惜しみない拍手をおくった。


 舞踊劇は、これまた人間国宝になった坂東玉三郎が主役で、柔らかく美しい身体での舞には感動した。いずれも杮葺落しとあって、人気役者が勢揃いである。


昨年末は中村勘三郎、今年2月に市川団十郎と、重鎮が続いて世を去り、舞台姿を見られないのが残念である。芝居の内容はイヤホンガイドがあるので、舞台を観ながら、耳からは物語の場面場面の解説や、歌舞伎の独特の約束事なども語られるので、わかりやすい。とにかく豪華絢爛なる衣裳の美しさ、舞台の装置の変わりの早さ等々は、ただただ驚きの連続である。歌舞伎とはあまり馴染みがなかった方も、ぜひ一度、劇場へ足を運ぶことをおすすめしたい。


振り返ると、私と歌舞伎との関係は、昭和16、7年頃で、小学校の低学年のときからである。当時は大田区に住んでいた。神田生まれの母は伯父の影響もあって、女学校のときから歌舞伎が好きだった。父は仕事が忙しく、芝居どころではない。夫が働いているときに一人、芝居三昧とはいかず、母は子どもの私をだしに使った。小学校の下校時、校門の際で、母が大きな風呂敷を持って待っている。

「今日は銀座の伊東屋で、きれいな筆箱を買ってあげますからね」

 そう言って私のランドセルを風呂敷に包み、うれしそうに私の手を引いて駅へ向かう。省線に乗る。それっ、歌舞伎座へ!

 

 当時、わりとおとなしかった私は、場内では、回りをキョロキョロ見たり、与えられた鈴カステラを少しずつ食べたり、時々昼寝したりして、不思議な場所で数時間過ごしたのである。母は二代目松録(現尾上松緑の祖父)と海老さま(十一代目市川団十郎で現海老蔵の祖父)が出てくると、立ち上がって、大喜びをしていた。帰りは伊東屋で買い物し、立田野で、あんみつなど食べさせてもらえるのが私の唯一の楽しみであった。


母の歌舞伎座通いに付き合わされたあの頃の思い出は、特に楽しいうれしいものではなかったが、今、娘ともども歌舞伎好き、というのは江戸っ子の母の影響かもしれない。6月には「助六」を観にいく予定で、楽しみにしている。


*これを読んだ会員の何人かから、「私も歌舞伎座に行きたくなりました」という便りを頂きました。うれしいことです。皆さんも、そんな気持ちになりましたか?



では、今日はこの辺で。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。明日は独身時代にいっしょに働いた友人と、会社のあった日本橋界隈を歩きに行きます。  おしょうさんより