当時おはつは神戸の工場に赴任していて、尼崎の武庫之荘てとこの社宅に住んでた。

まどろんでいたらいきなり揺れた。真っ暗ながらも反射的に本棚とテレビを押さえて揺れが納まるのを待った。

揺れが納まって暗闇の中ボーゼンとしてると、ちょっとの静寂の後、犬のワンワンという鳴き声で我に返った。その後同じ社宅の同僚が玄関をノックしてきたので、手探りでキッチンを通り玄関に向った。

たぶんそのとき初めて地震の規模を実感した。水を張ってあった洗濯機は倒れており、床は水浸しだった。そして足を切った。後で判ったが蛍光灯が割れてその破片で切ったらしい。モノが無いはずの場所に何かある。当時2つ持っていた冷蔵庫だ。2つともフタが開いて中身が全て出た後にひっくり返っていた。

8時前ぐらいに電気が復旧した。慌ててTVをつけると普通にズームイン朝をやっていた。あれ、こんなに揺れたのはここだけか。ひょっとしてこの社宅だけこんなに激しく揺れたのか。

でもこんなんじゃ工場にいけないな、仕事は休める状況じゃないけどもこれは半日でも休んで片付けないと。

んで、電話をとるも「話し中」だったろガヤガヤ混線していたりでまともに使えない。電話を諦めて、同僚と外に出ることに。

一変した景色に息を飲んだ。

武庫川の西だったので比較的被害は少ない方だったけれども、近所のマンションは1階が崩れてダルマ落としみたいなってたし、灯篭は倒れていて、道路はあちこちで隆起していた。

公衆電話を見つけてそこで横浜の会社に電話した。横浜ではまだ地震のことは判ってなくて「無事だ」と伝えてもよくつかめていない感じだった。

夕方になって、ようやくTVでも被害状況を報じ始める。三宮のダイエーが燃えている、よく買い物していたとこだ。その映像を見て泣けてきた。




あれから12年の間に災害対応,耐震対策,BCPなどが研究されて進化してきたよね。これらの恩恵も6000人の犠牲者の上に立っているのだということを忘れないようにしたい。