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近年ジワジワと映画界でも盛り上がりを見せている分野が存在する。それは文系SFだ。


管理人が勝手につけたこの名称だがザックリ説明すれば


"派手な戦闘や爆発もないが内省的・形而上学的なセンスオブワンダーを感じることができるSF作品群"


のことである。


今後扱う予定だが、昨年公開でドゥニ・ヴルヌーヴが監督を務めた「メッセージ」がまさに文系SFといえるだろう。またスタンリー・キューブリック監督作品でSF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」もこれの源流である。

そしてこのシリーズでは一見硬派で難しい作品をポイントを抑えた上で再鑑賞してもらい名作を大勢に知ってもらうことを目的としている。その為基本的にネタバレ全開なのでそこら辺はご留意を。

雰囲気が少し掴めてもらえたところで早速本筋に入るとしよう。今回扱うのは2011年公開の映画「アナザープラネット」だ。






◆マイク・カーヒルという人物

「アナザープラネット」の監督を務めたのはマイク・カーヒル38歳。彼はアメリカのコネチカット州ニューヘイヴンに生まれ、ジョージタウン大学で経済学を学び卒業後活躍。

映画作品の作風は主にSFで代表作は今回扱う「アナザープラネット」と2014年公開の「アイオリジンズ」である。ちなみにTVドラマ制作にも携わっており、こちらは学園もの(2018年放送Rise)やミステリー系作品も存在する。これまで映画関連の受賞経験は5度ありアナザープラネットもいくつかの部門で受賞している。

また後述する女優ブリット・マーリングは大学時代からの知り合い。



◆ブリット・マーリングという人物

この映画を語る上で外せないのが主演女優ブリット・マーリングである。イリノイ州シカゴで生まれマイク・カーヒルと同じ大学を卒業。数年間の社会人生活を経て映画界へ。

女優業のみならず監督・脚本・プロデューサーも務めるなんでも屋さん。「アナザープラネット」以外にも環境テロリストグループに潜入する捜査官の物語「ジ・イースト」や、失踪から突然生還した女性を軸に展開するnetflixオリジナルSFカルトスリラードラマ「The OA」でも高い評価を受けていることは有名だろう。

また前述の「アイオリジンズ」にも重要キャラクターとして出演している。


2人の共通点

この2人のSF作品を語る上で鍵となるのはズバリ、運命である。大抵のSF作家はSFガジェットを通じて現代社会への批判や風刺を行なったり、希望あふれる未来を描くものである。しかしマイク・カーヒルとブリット・マーリングは一味違う。彼らはSFという一見科学的な皮を被ることで非科学的な宗教性や神秘性を伝えようとするのである。

(またこの構造こそが「文系SF」に通底する特徴なのだ。アーサー・C・クラークの「高度に発達した科学は魔法と変わらない」という名言が示唆するように、ハイテク要素を取り込む程むしろ現時点では非科学的だと言われかねないものを描く必要があると私は考えている。)

この特殊な作家性が彼らの作品の好き嫌いが激しく分かれる所以でもあり、特に顕著なのがアイオリジンズとThe OAでこの2作品は突然スピリチュアル的な演出・展開が中盤から始まる為戸惑う人も多いはずだ。かくいう管理人も当初は苦手だった(正直TheOAについては未だに褒める気になれない)


◆ストーリー

この映画の主題は贖罪。

確かにローダは罪滅ぼしの気持ちでジョンのもとで掃除の仕事を始めたが、第2の地球との交信を耳にして彼女自身は心のどこかで'もう1人の自分'が幸せに暮らしているのではないかという憧憬を抱くようになったはずだ。だからこそ彼女は第2の地球行きの切符を手に入れようとした。

だがジョンの元で働くうちに彼に恋心を抱いてしまい、自分の業の深さを認識したことで贖罪の本当の第一歩として切符を譲るという決断をしたのだった。


◆影

アナザープラネットの特殊性は【SF要素を含んだヒューマンドラマ】であるからではない。解釈を変えると【SF仮面を被った心理学ドラマ】へと変貌する所だ。

ユングの心理学の概念の1つにSHADOWというものがある。これは


誰の無意識にも潜在する受け入れたくない自分・社会的に不正義とされる願望のこと


を指す。

序盤の描写でわかるようにローダは天文学に興味を抱いていて、さらに徐々に第2の地球が接近=巨大化していくように見えてくる。これと前述したローダの憧れを総合すると、第2の地球そして向こう側のローダこそが彼女の影であり無意識が彼女に見せた幻なのではないだろうか。

この映画の本質は【失ったものを取り戻すことは出来ないし罪から逃れることは出来ない】ことである。これを踏まえるとラストシーンも自ずと理解できる。ローダは向こう側に行くことで己の罪から逃げようとする気持ちがあり、また向こう側のローダは今でも何不自由ない暮らしをしているかもと願った。だが終盤で真に悔い改め、贖罪と赦しの人生のスタートラインに立つ決意をした(逃避行を可能にする片道切符を失うことにより)。その結果自らの不誠実な、しかし素直な気持ちである影に向き合う=自覚することが出来たのではないだろうか。





この映画は明確な正解が発表されているわけでもなく、公式インタビューでも観客に委ねる旨の発言がなされている。実際、この映画はキリスト教的側面から見た贖罪の解釈や純粋にパラレルワールドと解釈するものも存在しどれも正解である。

ぜひ貴方もこの作品を鑑賞し自分のアナザープラネットを見つけて欲しい。