21世紀★日本の王仁到来(和邇吉師) | 週末有意義研究所 所長りっとん

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日本の王仁(和邇吉師)

戦後未曽有の災害の出発となった3・11の大震災から、はや一カ月が経とうとしている。
日本史上に類例のない深刻な事態への様相を呈しているこの歴史的な出来事の渦中に生きて、今、改めてこれまでの経緯と、来るべき未来への方途を思案している。

そんな中、この7年間多くの学びを受けながら仕事と志を共にしてきた社長のNoh Jesuがこの大震災に対して示した姿勢と行動は、この16年間の氏の日本への想いが本当に真摯なものであることを私に強く再確認させてくれた。

震災の数日後、私がNoh Jesuに会ったときに、驚いた一言がある。

「もし仮に地震で日本や東京が潰れていくとしても、私も日本と共に死ぬから。
だから皆さん、サムライらしく、不動の心で堂々とこの危機を受け止めて、逆に日本のプライドを全世界にみせてやりましょうよ!」

これを聞いたとき、私は言葉がなかった。

時あたかも、日本に滞在している外国人は、一刻も早く安全な母国へ帰ろうと、行政機関や空港に殺到し始めた時だ。
当然、韓国人であるNoh Jesuも、その選択肢を取ることはできる。母国には心配する親族もいるだろう。
だが、彼の頭には日本から逃げ出すなどという発想は毛頭なかったのだろう。
当の日本人ですら、不確かな放射能の情報の恐怖心にあおられて、わが身を守ろうと、いち早く東京から脱出した人間も多くいたと聞く。

その中で、彼は逃げだすどころか、サムライらしく、今こそ日本人の魂を堂々と世界にプライドを持って発信するべき時だと、1ミリの迷いもなく言い切ったのだ。

一体、こんな覚悟と確信を持ってメッセージを発信できた人物が、日本の政財界のリーダーにいただろうか。
あの時点で、国民と国家の安全を保持するべき政治家や官僚の中に、自らの死さえも受け入れる覚悟と泰然とした心のあり方で対応に臨んだ人間が、どれくらいいたのだろうか。

実際、日本中に強烈なショックを与えた震災の後、東京だけを見ても、これまでに経験したことのない社会状況と不確かな情報が過剰に錯綜する中で、街全体が不安心理やいら立ち、喪失感に覆われているような混沌とした状態だった。

特に、あいつぐ余震からくる巨大地震の再発への恐怖や、原発と放射能の不安は、多くの人々にとって、日々耐えがたいストレスとして鬱積していたように思う。

一刻も早く、責任ある立場の人間がはっきりとした根拠と揺るがぬ確信の心で、人々の不安心理を鎮め、事態解決への明確な道筋を示すことが求められていた。

Noh Jesuは、先に書いたような強い意志を持ちつつも、単に精神論としてだけ語っていたのではない。地震のメカニズムや原発の客観的状況把握も通して、いち早く、自身のメルマガとホームページを通じ、何よりも心のパニックを鎮める必要性と、正確な現状認識を示した。

余震の恐怖に対する見解、原発・放射能の恐怖に対する見解、そして計画停電など電力不足からくる産業への影響懸念への見解は、動画上で早い時期から明確に打ち出している。
これらのメッセージに触れた多くの人々から、安心しました、という声が沢山寄せられた。

危機に際して何よりも怖いのは、心が乱れて正確で冷静な思考力、判断力が奪われてしまうことだろう。
心のパニックが連鎖、拡散しないように、自らのメッセージで事態を冷静に受け止めるように動画で伝えたリーダーも、残念ながらまた、日本人にはいなかったように思う。

その後、3月の末から4月の初頭、寝る間もおしみながら、Noh Jesuと共に、日本復興への緊急政策提言・グランドヴィジョンをまとめた。

一向に事態収束の兆しが見えない原発と放射能の問題を前に、事態が長期化することで深刻化していく日本の危機に対し、日本をどうにか救いたいという彼の想いが一段階の提案としてまとめられたものと言える。

内容は、
・原発収束シナリオと中期計画(前半)
・日本再生のグランドビジョン(後半)

の2つに分けて提案しており、前半では「放射性物質除去技術」の研究開発を促進する為にボーアの原子模型に代わる「新しい原子モデル」を提案し、後半では「Made in JapanからHeart of Japanへ」をコンセプトに、世界の経済情勢の分析も踏まえた上で、新しい産業「認識経済」を提唱している。

いち民間人、しかも外国人で、ここまで具体的なことを日本に対して投げかけてくる人物を、私は他に知らない。
全く不思議に思えるほどに、日本人よりも日本の現状と未来を本当に深く憂い、懸命に新しい日本の復興へのロードマップを掲げている。

社会的には自分の会社の社長ながら、改めてNoh Jesuという人物の稀有さを思った。

そんなとき、ふと来たイメージが「わに博士」だった。

「わに博士」とは、百済から日本に渡来し、「漢字」と「儒教」を伝えたとされる人物だ。『日本書紀』では王仁(わに)、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されており、聖徳太子の先生でもあったと言われる。

「わに博士」の事績については諸説あるものの、共通項として端的にみると、次の二つがある。
ひとつは、あたらしい文字、言語を日本に紹介し、広めたこと。
もうひとつは、新しい学問を伝えたこと。仏教の悟りの世界を日本人に伝えたともいわれる。
当時の渡来人は、命がけの航海をしてこなければならない。そして初めは言語もままならない中で、必死で日本人に新しい世界、新しいイメージを伝えたのだろう。
聖徳太子も「わに博士」から仏教を学んだともいわれ、そうであるなら日本の新しい国のあり方の土台づくりに深くかかわった人でもある。

時代こそ違え、NohJesuは、韓国から日本に渡来し、観術による「イメージ言語」と「21世紀の悟りの学問、悟りの技術、悟りの産業」を伝えている。

最近、『観術で聖徳太子「十七条憲法」を生かす』という著書も出したばかりだ。
その中で彼が提示する日本のロードマップは、まさしく聖徳太子が1400年前に果たそうとして果たしえなかった変革を、日本発で世界規模で取り組んでいくという壮大なものだ。

動乱の時代、聖徳太子が「わに博士」に学び“和の国”日本の礎を創ったように、この震災の混沌の中から、Noh Jesuが伝える観術と日本のグランドヴィジョンを道具に、新しい日本社会のプレートが創られていく可能性を日々感じている。
日本をここまで愛してくれる弊社代表のNohJesuと、彼を育ててくれた韓国の人々と文化に、いま改めて感謝を申し上げたい。