【今日の名言】
・嫌な事でも何でも第1声目は
 ⇒それ、オモロいっ!!

・自分に負けそうな時は
 ⇒この方程式はウソやっ!!

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昨日 何年ぶり!?
って、くらいに翼と仕事帰りにお茶した。


その前にモバゲーの小説でめっちゃオモロイのあって
久々に声上げて爆笑したので「コレやっ!!」って、
最近笑ってないから、笑わなあかん!!って、
そっこーで浦安鉄筋家族を全巻ネットで買ってやった♪


笑いは何者にも勝る栄養素やしねっ♪


で、翼も今年はまじめに婚活するらしく、
お互いどんな人がタイプって話しの中から
超、ポジなれる考えを得れた。


つ⇒グチさえも「それ、オモロいやんっ!!」
  って返してくれるような人。

私⇒頂き!!


自分のタイプって知ってるようで
知らんかったから、忘れんように書いとこう。

◆面白い人。

◆会えなくても、言葉をくれたりと
 私が迷子にならないように居場所を用意しててくれる人。

◆アウトドアな人(外で遊ぶのが好きな人)

◆私よりSな人

◆心が揺れた時に包容力を発揮してくれる人。
昨日「ホンマでっか」のTV見てて脳科学の澤田先生?かが、
『「幸福感」は遺伝します』って言ってた。


何やら人間には幸福を感じやすい人と感じにくい人が居るらしく
育った環境にもよるが遺伝作用もあるらしい。


マツコDXがデラックスなリアクションで「納得ぅ~!!」って、続いて私も納得した。


実際、私は他人に見せる顔は「前向きで強気」って部分だけど、1人になるとすごい寂しい顔してるし、何より他人が幸せ~って気持ちの時でも1人冷めてるから、幸せって感じる事が少ない。


私「なんで自分はこんなんなんだろう…」って結構、悩んでたけどコレ聞いてスッキリ、両親ともに、お堅いし、特に母親からは幸せ話しなんて聞いた事ない。




人間なんてさ、誰だって自分が1番なんだよ。
でも、それを言うと「私はそんなことないぃ~」みたいに引くじゃん。


だからコレ聞いてスッキリした。
これで心起きなく八方美人の冷めた人間になれる♪って。


「こんな陰な気持ちは持ってちゃいけない」って今まで気持ちに蓋してたんだよねぇ~。
解放ってか、陰を受け入れると復活したようにスッキリしたし^^


人にはさ「幸せはなるものじゃなくて、気付くものだよ」なんて言うけど、今の状態、気付くも何も「何もなくて寂しい」から、気付く以前の問題。


実際、幸せってなんなんだろう…って思ってたら、これまた脳科学者さんが『今の時代の幸せとは脳科学的に「家庭を持つ事」』とな、これにも納得。


だって、私。
今、すごい結婚したいもん。


別に結婚じゃなくても一緒に住みたい。
家族ほしいなぁ。。。
頑張るのやめたぁ~。

頑張ると良い事あるって思ってたけど、信じてたけど、実際頑張って良かった事もあったけど...

頑張っても良い事ないとショックだし「やっぱり…」ってネガ入っちゃう。

「頑張る行為の裏に期待を持つからだよっ」て期待があるから頑張るんじゃん。

期待も何も無かったら初めっから頑張らねーよっ!!
12日のお昼過ぎ、
私は彼氏の腕の中で幸せな時間を過ごして居た。


そこへ弟から着信。
「おばあちゃんがあまり良くないので、
 今日の夜中に福井へ帰る」との事だった。


その日、私は飲み会の予定が入っていたのだが
急遽キャンセルをした。




4、5年ぶりの母方の実家。

車内から見る、田舎の風景、家、親戚の顔、
見るもの全てが記憶の中の映像とギャップが有り過ぎて
まるで竜宮城から帰還した浦島太郎のような気分。



そして病室。
そこには、私の推測を上回る姿をした彼女が居た。


私は、今にも零れてしまいそうな涙を堪えた。
「彼女はまだ、生きているのだから」と。



そして、私流の挨拶で「おばあちゃん元気?」と、
彼女に向けて精一杯の笑顔で手を振る。

その行動に彼女は顔を目いっぱいシワくちゃにし
「ニッコリ」と微笑んだ。


私はその応答が嬉しくて、また涙腺が緩んだ。




腰は90度に曲がっていたが、
元気に趣味の畑仕事をして居たおばあちゃん。

孫の一言、一言に「ん~(あら、そう^^)ひっひ^^」と、
ニッコリ微笑みながら相槌をしてくれて居たおばあちゃん。


会わない月日の時間の流れを、彼女の老いは証明していた。




もぅ、寝返りさえ自分の力では打てない。
自力で動かせるのは表情と眼球のみ。

それでも、彼女の瞳はクリアーにキラキラと輝いていた。




夕方、大阪へ帰還する前に再びおばあちゃんの病室を覗いた。


皆、口には出さないが周知しているのであろう。
コレが最後の面会になる事を。


そして、そうなる未来を本人も感じているのであろう。


彼女は「おばあちゃん、もう帰るね」の言葉に
眉間にシワを寄せながら泣いた。




生きてはいるが、動けない。
生きてはいるが、機械に頼らなければ呼吸すら間々ならない。

生きてはいるが、目に写る背景は無機質で、
唯一時間の流れを確認出来るのは、他力によって寝返った時の
窓から見える空の色や雲の流れのみ。


これは、生きていると言えるのであろうか?
これは、いずれ訪れるであろう死への待ち時間なのであろうか?



生きてはいるが。
生きているのだから。


果たして、生かされている人は
「生きている」と言えるのであろうか?

先日、テレビでインドで大きな鼻を持って産まれた先天性身体障害者の子供を放送していた。

インドではヒンドゥ教徒が8割以上と全人口の大半を占めておる為、
大きな鼻を持って産まれた子は神の生まれ変わりと崇められ名前を「ガネーシャ」とした。

しかし、成長と同時に大きくなる鼻は明らかに周囲の子とは違い日常生活にも支障を来たす。

神と拝められてもやはり普通の子をして生きてほしいのが親の願い。
小学生になる頃、精密検査をした結果、大きな鼻の正体は脳だった。

神の生まれ変わりと崇拝されても、やはり普通の子として幸せに生きてほしいのが親の願い。
だから今の医療の全てを持って整形する。

私たちの身体は1つの頭に1つずつ鼻と口、2つずつ目と耳。
大幹、四肢には5本の指とされている。

しかし皆がみな、それぞれの形を持って生まれてくれば どうなる?

果たして神とは?

私は、自分の幸せを気付ける、受け入れれる器を持った人間の事ではないだろうかと思った。