トモダチを嫌いになったら、会わないでいることが出来る。
恋人を嫌いになったら、別れることができる。
夫(妻)ともう一緒にいられないと思ったら、離婚することが出来る。
会社を嫌いになったら辞めることができる。
口座、契約、世の中には止めることが/しないようにしてもいいことが/
辞めることが出来るものがいっぱいある。
だというのになぜ、親と子の関係がこじれても、「やめる」というと、
人非人みたいな言われ方をするのだろう?
産んでくれたから?育ててくれたから?
産んで育てていい年齢になるまで養育してお金がかかってるから?
私の大好きな作曲家が、アルバムの中で綴った言葉を思い出す。
『インドで、物乞いに子供が生まれると、生まれたその子の手や足を骨折させたり、
目を片方潰したりするのだそうだ。
それも、子供が物心もつかないような頃に、“わざと”。
それは子供が周囲に哀れに思ってもらえるように、
より多くの施しを人様からいただけるようにという、親の愛なのだそうだ。
……愛ってなんだ?』
本当に親の(家族の)愛って何なんだろう、と考えます。