初めて泣いた日と初めて許された日。 | こたつむり師団の日次報告書。

こたつむり師団の日次報告書。

日本国自宅防衛隊・冬将軍隷下「こたつむり師団」(第5656連隊を擁し、主力部隊は「空挺ラッコさん部隊」)所属のおキヌ子による報告書です。

2011年3月11日のおはなしです。


その時私はホテルへの転職を控えてまして、

2日後の13日には制服の受け取りやら最初の説明やらで

転職先のホテルへ向かう予定でした。


で、その日、本当はどこか買い物へ出かける予定だったのです。


当時住んでいたのは、横浜。

市営地下鉄へ乗ってセンター北・南へ行こうか……

それともJR駅周辺で、ヨドバシとか行こうか……

そうやっていろいろ考えてたのですが、結局決め手がなく、

今日はもう自宅警備に勤しもう!また別の日にしよう!

と、自宅でのんびりすることにしたのです。


そしたら、あの地震でした。

ペンダント式の電灯が、縦にホイップして揺れました。

慌ててPCを退避させ、壁に背中をつけて揺れが収まるのを待ちました。

当然停電してたので、小さなラジオをつけ、情報を待ちました。

強い揺れが……落ち着いて行動を……

ランドマークタワー内スタジオも強い揺れを……

落ち着いて情報を待ってください……


30分もしないうち、東北地方での地震であることがわかりました。

それと時をほぼ同じくして、横須賀の地方総監部から、

海上自衛隊の艦艇が出発したとの知らせがありました。

電気が復旧したのは、その夜の23時前。

TVで被害を見るたびに恐ろしくて、でも実質的には被害がなかった自分が、

「怖い」「どうなるか分からない」とそれに怯えるということが

非常に……なんというのでしょう?

おこがましく・そして甘えたことをしているように思え、

不安な気持ちをギュッと押さえ込んでいました。

友人たちや母親には「大丈夫?わたしは無事だよ!」

というメールを送って、それだけにしておきました。

怖い・不安・助けて欲しい・という気持ちを出してはいけないと思っていましたから。


3ヶ月ほどして、動画サイトで、ある動画を見ました。

(ぶっちゃけるとニコニコ動画です)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5005881


言い方は非常に悪いのですけど、この動画には

「○○だぞ!糞ジャップ共!!」というような言い回しが定型化されてます。

それがいっぱいコメントで流れてきます。

でもその当時、動画を閲覧した私は、「元気出せよ!糞ジャップ共!!」とか

「日本は何度でも蘇るさ!糞ジャップ共!!」とか

そういうコメントを見て、ぼろぼろ泣きました。

なんか良く分からないけど、書いてる人もひょっとしたら空元気で、

あるいは単なる言葉の上だけで「元気出せよ」って書いてたのかもしれないけど、

それですごくすごく救われた気持ちになりました。



そして、2011年の11月。


初めて応募した自衛隊音楽まつりで、「三宅姫」こと

三宅由佳莉士長(当時。現在は昇任なされており、三等海曹でいらっしゃいます)

が歌う「Amazing Grace」を聞きました。

国旗入場と国歌斉唱のあとに、一番最初に、トップにこれです。

http://www.youtube.com/watch?v=7Up9ZUAhZlc


愛読書「天帝の愛でたまう孤島」という本の文章中、

登場人物がこれを歌うシーンがあるのですが、

作者の訳は「盲(めし)いた者にも見せたもう 私のような者も救いたもう」

という風に描写されているのですね。

その歌詞のイメージと、三宅由佳莉嬢の歌声が、

音圧といっしょに頭の芯まで突き抜けた感じになって、

「ああ、許してもらったんだ……」とぼろ泣きしました。


震災はまだ終わっていません。復興には長い時間がかかります。

でも、それでも私にとってこのふたつの些細な出来事が、

前に向くきっかけになったことは確かなのです。