池添親子物語! | 競馬ミステリー

池添親子物語!


2009年暮れ、12月26日土曜日。

この日は、第10レースで、暮れの中山恒例GⅠ中山大障害が行われた。

政権交代の時流の中、世代交代の空気が張り詰める中山競馬場。

今年こそは、大波乱の世代交代が起こるのではないかと固唾を呑んだ。


ところが・・・・




現実は、拍子抜けの硬い決着。


第132回 中山大障害 (J・GⅠ)
中山競馬場 芝4100メートル
2009.12.26
1着 5枠 7番 キングジョイ 牡7 西谷誠 1人
2着 8枠 14番 メルシーエイタイム 牡7 横山義行 2人
3着 1枠 1番 オープンガーデン 牡5 江田勇亮 7人


第131回 中山大障害 (J・GⅠ)
中山競馬場 芝4100メートル
2008.12.27
1着 4枠 8番 キングジョイ 牡6 高田潤 2人
2着 7枠 13番 メルシーエイタイム 牡6 横山義行 3人
3着 7枠 14番 テイエムトッパズレ 牡5 佐久間寛志 11人


1番人気キングジョイが、2連覇を達成。

挙句の果てに、前年の1着2着という決着。

大きな違いと言えば、優勝ジョッキー西谷誠騎手は、乗り替わり初騎乗であった。

つまりは、大人の事情。

西谷誠騎手を優勝させる為に、用意された茶番劇。

相変わらずのJRA劇場であった。


さて、この中山大障害に、強い思い入れを持つ男がいた。

それが、池添兼雄調教師。

$競馬ミステリー-池添兼雄

池添謙一騎手の父親である。


池添兼雄は騎手時代、大久保正陽厩舎所属で約6年過ごした。

1979年7月23日、長男・謙一が誕生し、2年後にフリーになるも、さしたる活躍は出来ずに1992年2月に騎手を引退した。

通算成績は、1587戦185勝だった。

同3月、鶴留明雄厩舎の調教助手となり、1997年、調教師免許を取得する。

そして、1999年3月、厩舎を開業し、今日に至っているのだ。


そんな池添兼雄にも、騎手時代の唯一の栄光があった。

それが、中山大障害の優勝である。


当時はまだ、障害重賞の格付けが行われていなかったが、今で言えばGⅠ競走制覇である。

第92回 中山大障害(春)
中山競馬場 芝4100メートル
1984. 4. 8
1着 3枠 3番 メジロジュピター 牡6 池添兼雄 3人
2着 1枠 1番 メジロアンタレス 牡5 牧之瀬幸夫 6人
3着 4枠 4番 ブルキング 牡6 広松孝司 4人


また、当時は、天皇賞と同じく、春と秋の年2回の開催であった。

つまり、春秋連覇こそが、誉れとされた時代である。

事実、前年・前々年と春秋連覇がなされていたのである。

中山大障害(J・GⅠ)
中山競馬場 芝4100メートル

第88回 1982. 4.11 中山 キングスポイント牡5 小島貞博
第89回 1982.12.25 中山 キングスポイント牡5 小島貞博

第90回 1983. 4.10 中山 オキノサキガケ牡5 星野忍
第91回 1983.12.24 中山 オキノサキガケ牡5 星野忍

第92回 1984. 4. 8 中山 メジロジュピター牡6 池添兼雄


が、しかし、池添兼雄鞍上メジロジュピターは、第93回中山大障害(秋)には、出走が叶わなかったのである。

そこで、悔やまれるのが、前年の第91回中山大障害(秋)であった。

第91回 中山大障害(秋)
中山競馬場 芝4100メートル
1983.12.24
1着 3枠 3番 オキノサキガケ 牡5 星野忍 2人
2着 5枠 5番 メジロジュピター 牡5 池添兼雄 3人
3着 7枠 7番 ハヤテタケル 牡4 平井雄二 4人

実は、池添兼雄鞍上メジロジュピターは、2着だったのである。

もし、ここで、勝っていたなら、同一年ではないが、春秋連覇が達成出来ていたのだ。


さて、話しは変わるが・・・・

騎手時代の池添兼雄は、決して障害競走専属騎手というわけでは無かった。

平地競走にも、彼の居場所はあったのだ。

そして、タイトルこそ獲っていないが、天皇賞馬に騎乗していたという事も思い出の一つであった。

その馬こそが・・・・

第73代天皇賞馬エリモジョージである。




第73回 天皇賞(春)
京都競馬場 芝3200メートル
1976. 4.29
1着 6枠 11番 エリモジョージ 牡4 福永洋一 大久保正陽 12人
2着 1枠 2番 ロングホーク 牡4 武邦彦 3人
3着 6枠 12番 イシノアラシ 牡4 加賀武見 2人


鞍上を任された要因は、やはり、大久保正陽厩舎所属騎手であったという事からだ。

また、この馬は、勝ち負けの起伏が激しく、優勝以外は、まず凡走という馬だった。

その極端な成績から、付いたあだ名が・・・・

『気まぐれジョージ』だったのである。


しかし、負ける時は、誰が乗っても負けるもの。

肝心なのは、勝つ時に誰が鞍上であったかという事実だ。


馬名 エリモジョージ
生年月日 1972. 3.17
生産地 北海道浦河
生産者 出口留雄
性別 牡
毛色 鹿毛
調教師 大久保正陽(栗東)
馬主 山本慎一
競走成績 44戦10勝
獲得賞金 265,160,800円
勝負服

競走成績
1975
1.12 京都 シンザン記念 12頭 6番 1人  1着 福永洋一
1976
4.29 京都 天皇賞(春) 17頭 11番 12人 1着 福永洋一
8.29 函館 函館記念   9頭 9番 8人   1着 福永洋一
11. 7 京都 京都記念(秋)11頭 7番 5人 1着 福永洋一
1977
11.27 中京 オープン   8頭 3番 5人   1着 池添兼雄
1978
2.19 京都 京都記念(春)7頭 5番 2人  1着 福永洋一
3.26 阪神 鳴尾記念   9頭 2番 2人    1着 福永洋一
6. 4 阪神 宝塚記念   7頭 7番 2人   1着 福永洋一


重賞勝ちは、全てが福永洋一騎手によるもの。

池添兼雄は、オープン戦のただ1勝という実績であった。

しかし、この事実には、同情の余地があった。

なぜなら、福永洋一こそが、当時「天才ジョッキー」と呼ばれた騎手だったからだ。

ちなみに、天才ジョッキーと言えば、今でこそ武豊であるが・・・・

福永洋一こそが、元祖天才ジョッキーであり、二代目の天才ジョッキーと呼ばれたのが、田原成貴である。

つまり、武豊は、JRA三代目の天才ジョッキーなのだ。

また、福永洋一とは、福永祐一騎手の父親である。


話しが横道にそれたが・・・・

気まぐれジョージで負けても、責める者など誰もいない。

逆に、そんな馬で優勝したならば、他のどんな馬よりも喝采を浴びるという現象があったのだ。


しかし、現実を振り返れば・・・・

池添兼雄では勝てないが、天才福永洋一ならば勝てるという事実。

まるで、噛ませ犬のようなその状況に、内心では福永洋一騎手を良くは思っていなかったのでは、という想像が出来る。


そんな中でも、池添兼雄にはGⅠ制覇のチャンスが与えられていた。

それも、第73回天皇賞(春)を勝った次のレースである。

そのレースこそが、宝塚記念だったのだ。


第17回 宝塚記念
京都競馬場 芝2200メートル
1976. 6. 6
1着 2枠 2番 フジノパーシア 牡5 大崎昭一 1人
2着 7枠 9番 ロングホーク 牡4 武邦彦 2人
3着 5枠 5番 トウコウエルザ 牝5 飯田明弘 8人

7着 6枠 6番 エリモジョージ 牡4 池添兼雄 大久保正陽 9人


しかし、結果は、7着凡走。

人気に見合った決着であった。


ところがである・・・・

その2年後に、リベンジが達成されるのだ。


第19回 宝塚記念
阪神競馬場 芝2200メートル
1978. 6. 4
1着 7枠 7番 エリモジョージ 牡6 福永洋一 大久保正陽 2人
2着 3枠 3番 グリーングラス 牡5 岡部幸雄 1人
3着 6枠 6番 ホクトボーイ 牡5 久保敏文 久 3人


第19回宝塚記念を、エリモジョージが制覇したのである。

しかし、その鞍上にいたのは、やはり、天才福永洋一だったのである。


池添兼雄は、さぞや悔しかったであろう。

GⅠを勝てる能力を持った馬に騎乗しながら、自身は勝てなかったのだから・・・・


しかし、その夢は、息子池添謙一に託されたのである。



負けキャラだった父を超えて、宝塚記念制覇。




そして、その先にある父と息子の夢とは、春秋連覇。



また、偶然にも、あの福永洋一の息子福永祐一騎手は、落馬負傷で有馬記念を欠場。

まさに、福永親子にリベンジのチャンス到来であった。



2009年暮れ、父と息子の夢が、見事に叶えられた瞬間であった。


$競馬ミステリー-宝塚記念優勝ドリームジャーニー

$競馬ミステリー-第54回有馬記念優勝


ドリームレース宝塚記念制覇に続く、暮れの中山優勝。

それこそが、グランプリ春秋連覇。





まさか、まさかの末脚で女王ブエナを撃破し、有馬記念制覇。

まさに、奇跡の池添親子ドラマ。

池添兼雄の騎手人生の夢を、息子が達成したのである。

池添謙一は、二世騎手の鏡だ。

なんという、親孝行息子であろうか。


ちなみに・・・・

この事実は、先頃亡くなった、三冠馬ナリタブライアンのオーナー山路氏の供養にもなったのではないだろうか?

$競馬ミステリー-山路氏死去

なぜなら・・・・

三冠馬から有馬記念を制したナリタブライアンの管理調教師こそが、大久保正陽調教師。

大久保正陽調教師所縁の池添兼雄の息子が、有馬記念を優勝したのだから。。。。



しかし、この奇跡の物語の結末を、始めから知っている者がいた。

その人物こそが・・・・


眞鍋かをりと蒼井優だったのである。


レーシングダイアリー
素敵な夢を自由に描く物語、最高の笑顔で最後を飾りたい。」
12/27
第54回 グランプリ有馬記念(GI)
[中山競馬場・芝2,500m]

$競馬ミステリー-有馬記念確定

9番優勝「素敵ですね~」


笑顔で最後を飾りたい。」「これ、当たる!」



午後の紅茶。


それは、まさに・・・


茶番劇だったのである。。。。



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