亭主関白 だなんて、埃っぽくて鈍色をした語感の言葉に、現代を生きる人たちの幾人が共感や憧憬を抱いているか分からないのだけど、知るや知らずか確かにそれを、信奉し、実践し、継続している人は存在するらしい。そもそも、当の本人の標準がそれなのだから、総じて彼らは自らが亭主関白であるなどと感じていない事が多く、それが故に問題は根深く、ややこしく、そしてちょっぴり面白くなっているのだ。 


  唐突であるけれど、私には子が多い。正確な数は失念したけれど、それぞれ皆母親が違う。と、ここまでご覧になった方々の中には、やはりか!!思った通りだ!カタシめ女の敵め!と、血気に逸る人がいるやも知れない、いや違うのだ、嘘ではないけど違うのだ。
私が食堂やら私塾を通じて子供たちと関わるようになってはや6年、最初の頃の子供はそれぞれ見習い紳士となり、レディとなり、社会に出て職を得て、かつて私が彼らへ偉そうに諭した通りに微力であっても社会や人、そして自らの為に尽力している。ありがたい事には、彼らの相当数が若い含羞を滲ませつつも、私をオヤジ、おとうちゃん、父さん、パパ、などと呼んでくれる。二十歳そこそこの女の子が私の腕に絡みつきながら、パパ!!などと呼ばうのは、これはこれで別の誤解やら問題や、時と場所によっては安全保障上の有事が発生しかねないのだけれど、当のパパとしてはまんざらでもない、ついに実子がなかった私を複数人がそのように呼んでくれ、且つ慕ってくれる幸せは言葉に尽くし難いではないか。


  そう、統計的に50歳過ぎの多数は、そろそろ子供が職を得て、或いは家族を持ち独立し、その日常としては、またあの頃のような二人に戻る頃合いであろうか。そうした場合、子供のお父さん、子供のお母さん、と言う関係性で日々が進行してきた人ほど、何らかの戸惑いや、齟齬や、不一致などが生じやすく、更には生じた事柄に対して無関心と諦念とで対応した時に、徐々にではあるけれど事態はなかなか深刻な事に移行しがちであるらしい。
らしい とは、昨今とみに私の元へは同級生どもの相談が相次いでいる。これは明らかに相談する相手を間違えているのだが、面白い事は拒みようがないので、しょぼくれたおっさん達の、しかもかつては亭主関白の名をほしいままにしたおっさん達の、悲しい披瀝を私は傾聴している。
 元亭主関白氏曰く 
子供が独立してから、嫁との距離がつかめない
嫁が相手してくれない 
返事がいちいち素っ気ない 
子供がいてくれないと間が持たない 
意見が食い違うときオレも妙に意地を張ってしまう 
オレの嫁は母であっても女ではない 
などといちいち言う事と発想が「女々」しい。これがかつては家庭内に張り詰めた淀みを伴う緊張をもたらした同じ男かと思う。虚勢と意地と根拠のないプライドが剥がれ落ちた男の中には、じつにか弱い乙女が眠っているのだ。 
だが私としても、いつまでも楽しんでいてはいけない、真摯には真摯で応えねば礼を失する。 
 「おまえな、自分が変わりもせえへんのにやな、なんで嫁ちゃんばっかりに変わる事を求めるんや
嫁ちゃんが素っ気ないのも、会話が続かへんのも、おまえにも原因があることと違うんか
おまえ、してもろたことに、ありがとう、言えてるか?
相手に感謝と敬意もないくせに偉そうなことばかりぬかすなよ、何やったら僕がおまえの嫁ちゃん3日間くらい預かって強い説得をしたろか」
「アホか、そんな危ないことできるか」 
「それやったら、今夜から変われや。愛してるんやったら、愛してるて態度を示さなあかんやろ、照れくさいとか言うてたら取り返しのつかん事になるで、ええんかそれで」 
「うう……うん…わかったわ…」 
「ただな、急に変わるのもな、痛くもない腹を探られる事あるからな、その…なんや、徐々に、って言う、さじ加減が大切やな」
 結婚歴のない、しかも無用人の私に説教されて、肩を落とし家路につく彼。かつての暴君の面影は失われている。違うのだ、友よ、暴君であったのは、暴君でいさせてくれた君の妻と子供たちの度量によるものなのだ。この上は彼女を大切にしてほしい。 

 同じ夜
「息子」から連絡が入る。懐が暖かいからラーメンでも食べよう、と、言う。
彼は漆工芸の職人。見習いだけれど筋は良いらしい、いつも照れ臭そうに食事に誘ってくれ、そして視線を合わさずに私を「オヤジ」と呼ぶ。
 

 生きているうちには、こんな良い事もある。 

 南無