昭和の子供たちは遊び疲れて帰ってくると、手洗いもそこそこに「今日の晩ごはんなぁに?」と家人に尋ねたものである。私も同じであった。尤も、帰り道も終盤に差し掛かってくると、我が家一帯に充満する香りを頼りに今夜の献立を推測する事ができたりもした。カレーの香りを嗅ぎつけて、喜び勇んで帰宅すると果たしてカレーは隣家の献立であったと言う事が何度かあり、またそんな日に限り私の苦手とするか、或いは夕食としての魅力に欠ける献立である事が少なくなくて、私はその度に酷く落ち込んだものだ。私の家は出されたものを食べるのが基本であったし、まして献立に異を唱えるなどは、作った人と食材に対する敬意を欠いている、とされて夕食を引き上げられるか、食べ終えたのち説諭が待っていた。年に数度、誕生日やイベントの時のみ、私の希望どおりの献立となる日があって、そんな日はたいていビーフシチューを所望し、行儀悪く幾度もおかわりをしたが、それを咎められる事はなかった。幼い日、一つ年齢を重ねる事は楽しみや自己決定による日常の自由が増す事でもあり、誕生日のビーフシチューはその一里塚のようなものであった。 

 
 子供の頃は食事の献立として軽んじていたものが、大人になるとその妙味に気付くか、むしろ好物となる場合がある。例えば、夏のそうめん、冬のおでん、などが上げられよう。小学生時分、夏休みの昼食がそうめんだと知った時の失望と諦念は筆舌に尽くし難いものであるのに、いざ大人になると素麺は美味しいもの、と言うカテゴリーに堂々と入ってくる。柔らかく頼りなげな素麺の幾筋かを氷を投じたガラス鉢からすくい上げ、やおら、つゆに浸して口中に含む、薬味は九条葱を多めに生姜と茗荷をアクセントとしてある、もちろんその配合はその日の気分で変えても宜しい、舌がまず感じるのは素麺の冷たさである、それからつゆの芳香と旨味が鼻腔に抜ける、薬味の妙がたなびき、なんの抵抗もなくスルリと喉に消えてゆく。
ああ、美味しい、余韻に浸りつ次の麺をすくい上げようとすると、ガラス鉢と氷同士とが共鳴してカランカランと、涼やかな音を奏でる、目と耳と舌を総動員して、素麺との甘やかな正午は完成するのだ。 


  素麺やおでんに限った事ではない。世の中にはお子ちゃまには分からない、大人の妙味、魔味、と言うべきものが存在する。よく知られているように、味覚は舌にある味蕾と呼ばれる器官で感知するのであるが、味蕾の数は12歳くらいをピークに徐々に減少し、成人では三分の二程度に、高齢者になると半分程度にまで減ると言われている。つまるところ、単純に味だけを感じ取る力は子供時分が一番なのだけれど、甘味やタンパク質の旨味、或いは塩味と言った人体の生成に欠かせない栄養素をより美味しいものと子供は認識する、辛味、苦味、酸味、と言ったものは、腐敗物と同じ系統の味であるためにそれらをより強く感じると、脳は必要ないもの、避けるべきもの、として好き嫌いの原因となるし、無理やり食べさせられた、などの経験がきっかけで嫌いなものとなる事がある。そもそも、幼年期は大人と同じものを食べるのが最も困難な時期と知るべきである。要するに大人味とは、よく言えば舌の調和がもたらすものであるし、悪く言えば舌がある程度バカにならないと得られないものであるのだ。 

  従って、お子ちゃまに対して「今日はなにを食べたい?」を毎日毎日やると、結果に於いて好むものが固定化されパターン化されていく、連日、ハンバーグ、唐揚げ、カレー、野菜はほとんど摂らず、決まったもののローテーションで食生活が展開されていく、新知のものに興味は湧かず、食自体がいろんなものを味わって食べるものから、栄養を摂取するだけのものに変わっていく、脳がパターン化されたものだけを美味しいものと判断し、それで事足りると指令を出す。無理やり食べさせるが如きは慎むべきであるけれど、望むものだけでなく、少しずつ様々なものを食べるよう、食への興味を育てる事も肝要であろうと思うのだ。
ありがたい事に私はほとんど好き嫌いなく育ててもらったけれど、唯一ニンジンとは友情を結べないでいる。もちろん私もよい歳なのだから、食べられなくはないけれど、それは消極的選択の産物である。むろん、子供時分に無理やり食べさせられた記憶はないのだが、どうもあのオレンジ色の細長い容姿に怯んでしまうのだ。 


男カタシ
今年の夏はニンジンと仲良くしたいと思う、50年の怨讐を越えて、今年は歴史的な和解の年にしたいと思う。ニンジンサラダを笑顔で頬張るとき、わたしの眼前にはそれまでと違った地平が展開されるのだ。

正直に告白すると
誕生日のビーフシチューはニンジン抜いてもろてました……

今年はニンジン入りのビーフシチュー食べられる子になります



南無