春の花々は長い忍苦から自らを解き放つような絢爛と可憐とが同居し、そして夏の花々は美しくある、美しくあらねばならない自らを十二分に意識して人にその姿を見せているように感じる。春の花であれ、夏の花であれ、人々の歩みを止め、また振り向かせる事に変わりはないけれど、夏の花はどこか人の気を惹く事にこなれているかのように思える。初夏のこの時期、何処からかあえかに甘い香りがして、ふと、その香に興を覚え、香りのもとに辿りつこうと彷徨い、大通りから外れた、ろおじや辻子の奥の人家にひっそりと咲くクチナシを見つける事がある。まず香りで惹きつけ、散々迷わせて、然るのち姿を現すとは手練として熟達している。受ける印象として、甘い香りは暖かく暑いほどに蠱惑的で、たとえば春風に溶けて香る沈丁花などとは性質を異にしているし、加えて夏の京都は風が止まるから甘い香りは流れるよりも一帯に沈殿充満し、結果、私のような軽躁な者を呼び寄せるのだ。ただし花のもとに呼ばれたとて大意はない、白妙と言うよりもややクリーム色したクチナシの花弁の姿と、先ほどより心もち強くなった香りとを脳裏で一致させ、それを心の奥底に留めるのみだ。花といかに近くとも触れてはならない。
真に美しいものとの情事とはそうしたものである。 


  甘い香りの代表的な花の一つがイランイランであろうか。カナンガとほぼ同種だと言い、草花ではなく木花である。熱帯に広く分布して、香料を得る為に植林される事もある。季を選ばず黄色く愛らしい花を咲かせて、その一帯を甘やかな香りで包み込む、日本の花々の慎ましやかな香りに慣れていると、イランイランの強い香りに目眩く思いがする、私が滞在したのは25年前のプーケットだったけれど、朝となく夜となく、潮風に程よく調和したイランイランの風が窓から穏やかに吹き込んできたものだ。バリ島あたりでは新婚のベッドにイランイランの花を散らすと言うし、とかく甘やかな香りは人の情動と結びつくようである。ディオールのディオリッシモはミドルあたりでほんのりイランイランが香る、必要に迫られて私がたまに行くオフィスにもディオリッシモが数人いて、文具や機器が発する埃っぽい匂いになりがちなオフィスに文字通り花を添えている。尤も、昨今はスメハラなんて事を喧しく言う世の中であるから、早晩、ディオリッシモに限らずオフィスの花々は姿を消す事になるやも知れない、枯れ野はビルにも存在するのだ。同じディオールであってもジャドールになると随分と印象が玄人っぽくなる。系統を同じくするゲランのアンブランディランやディップティックのオーモエリなどはもはやオフィスには不適合で、このような香りの中で冷静に仕事ができる男など存在し得ない、ドキドキ楽しくはあっても効率の点で疑問が残るであろう。 

 
  高嶺の花 と言う。高菜の花、ではない。高菜漬けは私の大好物ではあるけれど、さしあたり本文とは関係がない。高菜に対する熱い想いはいずれ日を改めて皆様にお聞き頂こうと思う。蛇足ながら高嶺の花とはつまるところ手の届かない場所に咲く花、と言う意味で、転じて、いくら好きになった所で所詮は虚しい結果が見えている相手、と言う事である。昔々、今よりも私が3割増のイケメンだった頃、私はパリで自身に金がないのに放蕩三昧の毎日を送っていた。半年の滞在中はジョルジュサンクに住み、毎日のようにラウンジで時間を過ごした。当時のジョルジュサンクはフォーシーズンズに買収される前で、客層も現在とは幾分違っていて、無駄に財産を持っていると言う点では変わりないものの、ビジネスと株価の話しかできない人より、知性と教養とを皮肉や鬱懐の衣でくるんだような、言わば文化的で捻りの効いた会話のできる人が多かった。加えて彼らは立ち居振る舞いも極めて洗練されている、言わば旧世代のブルジョワジーを見る思いであった。分不相応の私はお里を知られまいと冷や汗をかきながら、しかし然有らぬ体でヨチヨチのフランス語と英語を駆使して日本国代表の任に当たったものである。自分はどう考えるのか?は西洋人との関係を築く上で最も重要な事で、皆がそう考えるから僕もそう思います、などと言っていると馬鹿呼ばわりされかねない。西洋人の美質は意見の違いが即ち関係の終焉を必ずしも意味しない事だ、同調圧力の強い日本社会では、意見の違いがしばしば関係の途絶となる場合があり、場合によっては仲間はずれ、村八分と言った事態を引き起こす事すらある。西洋人には、大きく倫理やモラルを違えない限り、自分はこう思うが、君はそうなんだね、と言う落とし所がある。それを以て関係性の悪化を懸念する必要はない、また忖度する必要もない、何でもかんでも西洋化度で日本社会を量るのには反対であるけれど、こうした部分はどんどん受け入れたら良いのだ。


  若い私の高嶺の花はそんな時に現れた。長期滞在客の娘、27歳、トゥールーズ出身。青い瞳と細い首、しなやかな指先が印象的な人であった。アップにした前髪の幾筋かが軽く波打ちながら眉をかすめて、頬へと伝っている。紅い艷やかな唇からは私との意思疎通の為の流暢な英語が漏れた。
名は、特に秘す。私の記憶の奥底から甦る美しいものへの儀礼とつまらない独占欲である。
彼女に夢中になった私は連日彼女を散歩に誘う、ジョルジュサンクからほど近いセーヌ川のアルマ橋、7月の空の下、白いノースリーブのワンピース姿で街灯に手をかけ私に笑いかける彼女は殊の外美しい、なつのはな、だと私は思った。彼女はいつもイランイランの甘い香りを纏う、それはゲランのサムサラ、母親からのプレゼントだと言う。
あるとき、私は思い余って陳腐で凡庸で三文芝居のような事を彼女に聞く
「君はなぜそんなに美しいの?」
彼女は微笑んで
「それは、誰のものにもならないからよ」
私の高嶺のイランイラン、その言葉は真実を突いている。誰にも触れられないから、手に入れることが叶わぬから成立する犯し難い美がある、摘まぬことが美を永らえることもあるのだ。花はあるままで美しい、あれから30年経つけれど、なつのはなは私の心の奥底にいささかも変ずる事なく咲き続けている。



真に美しいものとの秘めた情事とはそうしたものなのだ。