恋人。である。想いを描いていたあの頃。そして互いを恋人と呼び合う事になったあの日から、二人の景色は変わる。空の青さも、陽のぬくもりも、流れる水の清冽さも、星星の瞬きも、月明かりのたおやかさも、全てはとこしえに途切れることなく、日を経るごとに美しさを増し、それがまるで二人の為に用意された舞台装置であるかのように展開されていく。風に乗せた二人の睦言が人々の耳をそばだたせても、二人に疚しさや愁いなどは微塵もない、彼らにのみ感じる事のできる澄み切った真実のみが二人の間からとうとうと湧き出ているのだ。

そう、恋人と呼び合う事になったあの日から、とは実に日本的で、それはつまり「告白」と言う契機を経て二人は晴れての恋人同士となる。無論、例外はあろうが、告白が二人の始まりとして重要な地位を占めている事実は論を俟たない。文化人類学、或いは比較文化論などと言えば話が大袈裟で大仰な事になりがちなのではあるけれど、欧米の恋人の始まりは告白と言う段階を経ないのが通常である。何となくデートを繰り返し、何となくそんな感じになって、何となく深い関係を築いていく、従って、今日から恋人同士だね、と言う決定的な線引きはなく、どのような事も白黒つける、分類する、特定する、名称をつける、そんな文化を持つ彼らとすれば、これは相当に例外なのではないかと思ったりする。おっちょこちょい、せっかち、モジモジ、ウロウロ、こうした程度のものでも病気や症候群に分類特定しないと気が済まない症候群症候群と言うべきアメリカ人も、殊、恋人関係となるとじつに曖昧なまま始まるのが通常である。

尤も、日本人の中にあってもその種のスキルを備えた方は、相手との関係が拙い状態では決して告白などしないもので、相手の気持ちが高まったとある程度の確信を得るまでは無闇にその挙に出ない、ときおり相手のそうした心の有り様を無視したままに告白の挙に出る人を幾人も見てきたけれど、たいていは虚しい敗残の徒となり、アルコールの力を頼りに愛の餓鬼と化して夜の街を当て所もなく彷徨して行ったものであるし、さらに不可解であるのは、そうした辛苦を経験してすら、またぞろ似たような悲劇を繰り返す人が一定数いる事である。恋愛の始まりとはそうしたものであると言う思い込みによるものか、余程自信過剰なのか、学習能力の欠如であるのか判然としないが、相手への斟酌のない一方的な気持ちをぶつけるのは洋の東西と問わず御法度なのである。いずれにしても、互いの気持ちの醸成期間が肝要である点では日本人も欧米人と何ら変わりはないのだけれど、日本人にはここで一段階告白と言う恋人同士となる決定的な契機があるのだ。余談ながら、比較文化論のフィールドではまず最初に欧米に比して日本はどうなのか、或いは日本に比して欧米はどうなのか、と言うスタンスを取りがちで、結果に於いて私のこのレポートもその類例に倣ってはいるものの、私の場合は臨床サンプルが欧米人に偏っているが為にこのような次第となっているのだ。伝聞としての東南アジア、アフリカ等の恋人事情を知らぬでもないけれど、机上の伝聞よりはある程度の経験を伴う見聞記としてお話しした方が皆様にも御理解頂けようと言うものである。

欧米の女性によれば、I love youとは大変に重い言葉であるらしい。恋人になりたい、と言う段階で使う言葉ではないらしい。人によっては失礼だと怒り出す方さえいるらしい、これはフランスやイタリア辺りならば、入国から出国まで、Je t'aimeやTi amoだけで現地語は事足りると思っていた私には大変な驚きであった。国際親善とは大変に難しいものなのだ。と、すると普段から映画で頻繁に目撃していた、知り合って間もない男女が互いの思いを告白し合うアレは一体なんなのかね、と、ニュージャージーはアトランティックシティ出身の娘に問うと
「アンナノハ、映画ダケのコトナノヨ」
と、にべもない。私がブラッド・ピットやジョニー・デップになれないのは分かってはいるけれど、リアルを追求するのも映画の役割なのではないか、どうもハリウッドを通じてアメリカを理解しようとすると大きな誤解を生んでしまうようである。

いまどきのナウなヤングの告白は、きっとラインやインスタのDMで為される事がほとんどなのであろう、面と向かって相手に想いを伝える事も皆無ではなかろうが、体育館の裏であるとか、神社の片隅であるとか、或いは自筆のラブレターなどと言うものは、もはや古典の部類に入るに相違ない、思い返してもみれば体育館の裏とは言うもののそんな所で告白した覚えもなければ告白された覚えもない、だいたいそんな場所に二人きりで居ればクラスで噂になるやも知れず、昭和の告白は人目を忍ぶ場所、と言うのが基本であって、その後の二人の関係をオフィシャルにするにもなかなか勇気が要ったものである。そして、どのような事にも例外があって、私の若い友人にフランスはストラスブール出身のJ君と言うのがいる、ストラスブールはドイツ国境でもあってフランス語とドイツ語、英語とそして京都弁を自在に話すなかなかの俊才で、且つ、身の丈六尺と少し、私には及ばぬものの日本人離れしたなかなか甘いイケメンでもある。その彼に最近日本人の彼女ができた。私は女性自身や女性セブンの愛読者であるけれど、身の回りの惚れた腫れたとなれば放っておけない、早速最近映えるスポットとして知られる六角堂のスターバックスに彼を呼び出し、彼に敢然とインタビューを試みた。曰く、彼女は同い年の26歳、写真を見ればなかなかの美女ではないか、もう悔しいったらありゃしない。大雑把な馴れ初めを聞いてみたらば、なんと彼の方から告白したとの事である。
「それはまた…珍しい、なにゆえそのような手順を?」
彼が言うのに
「コクハクとはフランスにはあれへんけどな、どうしても彼女の事が好きでたまらへんかってん」
そやからな、と彼は決めゼリフを口にする
「彼女の事を愛してるから、彼女の国の文化を尊重したんや」
これにはやられた。男カタシ、不覚にも落ちそうになった。フランス野郎、なかなかやりよる、愛とは自分を変えてゆく動機に十分なり得るらしい、彼は彼女を尊重する、おそらく彼女も彼を尊重するであろう、そうして互いの最大公約数を見出していくのだ。相手に無理強いをしない、また無理強いもされない、ただ相手を慮り自然な状態で自らを変えていけるのが愛情の力なのかも知れない。



遠いむかし、大好きなあの人が僕の事を好きでいてくれた。恋人になったあの日から、帰り道の彩りは変わり、繋いだ手の温もりが互いの体温となった。明日の為に日が暮れてゆく、夜が二人を遠ざけても、あの人との明日を得る為なのだとぼんやり分かっていた。
今日と同じ明日で良かった。今日が永々と続くならばそれで十分であった。

日々は巡る

昔、あの人と帰った道を、今なぞって歩く
あの日々の僕たちのような二人が、手を繋いですれ違って行った。彼らの目に私はエキストラでしかない。思えばあの日々、僕たちを懐かしい目で見ていた人がいたのかも知れない。人はいつかの自分を何かに重ね合わせる事で過去の自分を抱きしめる。あの日々は気付く事がなかった、そうしたエキストラの存在に気付く事を年齢を重ねると言うのかも知れない。

日々は巡るのだ




南無