初夏から夏の夕暮れは、西日の絶え絶えがことのほか美しい。日中は鋭く尖りながら地上に降り注ぎ、綺羅びやかな新緑を照らし出してきた日の光は夕暮れともなると、なめらかに肌を滑りながら、光る雫の集合体のように地に落ちてゆく、伸びた自分の影は夕暮れと交わされた言葉の長さを語り、あえかに橙を帯びた灯りに浮かぶ人々は、その心のうちの温もりを垣間見せているようでもある。人は本来的に夕暮れ色の温もりの中にあるのではないか。待つ人の元へ帰る人、帰る人を迎える人、遊び疲れて家路につく子供たち、早朝のきりりとした空気とは違う、一日の人の営みに熟れた空気が静かに街を包み込む、夜がやって来るまでの暫しの時間だけ、夕暮れ色の中にそれは展開されるのだ。私のような待つ人も迎える人もない拗ね者の境涯では、夕暮れ時にいくばくかの寂寞を覚えるもので、眼前に展開される無言劇とも言うべきものの演者の一人となってしまっては、惨めが募るばかりでやり切れない。美しいものを美しいものとして受け取る為に夕暮れ色の無言劇は観客であらねばならないのである。

 黄昏の頃、私はよく鴨川沿いを散歩する。川はいつもその土地土地の一番低い場所を流れてゆくものだけれど、こうした河原に降りたってみると街中で眺めるよりも空の広がりが大きく、鮮やかで、渡る風はいくぶん湿り気を帯びていて、それは街中の生活の香りとも違う、上流からの香気を含む風が頬をなでながら遠ざかってゆく。出町の飛び石まで来て川面にきらきら煌やいている西日を両手で掬うと、頼りなくゆっくり指の間からすり抜けて元の川面に還って行くのだ。拗ね者の夕暮れ、他愛ない児戯と自己満足と少々の感傷がそこには同居している。ときおり、同じく散歩をする決まった幾人と行き合う事があり、自然の事とて会釈に始まり挨拶を数語交わす間柄に至る事もある。ずっと以前には、この河原で岡部伊都子さんとお会いしたし、とある役者さんと面晤を得た事もある。ただ、夕暮れの散歩にはそうした世間的な肩書なり社会的な地位と言うものを殊更に持ち出すのは野暮と言うもので、相手のそうした背景を知ってはいても話題にすべきではない。ここに集うものは等しく、夕暮れの川面の美しさに吸い寄せられた者たちであると言うだけで十分なのであって、例えば茶会に身分の上下なし、と言う原則をここに持ち込むならば、ここは言わば河原に設えられた茶室のようなものである。

こんにちは、日が長くなりました

ほんまどすなぁ、今年もよい季節が巡ってきましたなぁ

でも年々夏がすぐにやって参りますねぇ、今日は五月らしく風が爽やかでよろしいですなぁ

ほんまになぁ、昔の五月言うたらほんまに爽やかどした

では、また。お気をつけて

おおきに、あんたはんもなぁ


 私の親の世代と思しきその女性のあれこれを私は知らない。また、彼女も私のあれこれを知らない。たまたま鴨川で縁が重なり、言葉をいくつか交わすだけの間柄、それが良い、そんな関係が大変に心地よい。正調の京言葉と凛とした佇まい、その女性について知る手がかりはいくらでもあるけれど、そうした事を詳らかにするのは酷く無粋に思える。私にとってはときおり出会う品の良いばあちゃん、それで良いのだ。思えば、人と人との結びつき、コミュニケーションが以前とは随分変わり、より単純に、合理的に、非文化的になって、例えば日が長くなったね、などと言えば、夏なんだから当たり前じゃないか、と言われかねないのではないかとも思う。私とて50回以上夏に日が長くなるのは経験していても、その年、その都度の摂理に対する情趣が、日が長くなった事をしみじみと思わせるのであって、その辺りの呼吸が分からないと、品性に裏打ちされた上等な会話となり得ないのではないか。そもそも、顔見知り程度で会話が成立する事自体が当節にあっては稀なのであろうし、合理性と効率性で磨き上げられた世代にとっては挨拶言葉すら無駄な事に思える事であろう。巷間、聞き及ぶ所では、会社を辞めるに当り業者に依頼し退職する人がいるのだと言う。辞めるのは決めているから、自分で言うよりも合理的で簡単なのだと言う、逆から言えば自分は問題の解決能力に欠けているから、業者に依頼した方が合理的だ、と言えなくもない。見方によっては愉快で可愛らしくもあるけれど、どうせ辞めるのであれば文句の一つも直接言って来れば良いのに、と私などは思ったりする。

散歩の帰途、街のカフェで向かい合う恋人と思しき二人は、会話する事なくそれぞれスマホを触っている。まさかスマホで会話をしているわけでもあるまいに、何の為のカフェのひとときなのだろうか。私は観客であるから、それを愉しむのみである、街には美しいものと、心地よいものと、不可解なものとが絶妙な配置で転がっているらしい。
私は次の散歩をまた愉しみに今夜を過ごすのみである。


令和修身

キグチコヘイ ハ
テキノ タマニ アタリ マシタ ガ
シンデモ スマホ ヲ テ カラ ハナシマセン デシタ。



南無