教科書は言うまでもなく書籍の中にあって少々特異な位置付けで、内容の好むと好まざるに関わらず最低でも一年間は付き合っていかねばならない、誠に厄介な間柄である。概して持ち主からは遠ざけられ、疎まれ、時には教室の机に放逐され、帰宅さえもままならない状況に置かれるのだ。私などは、幼い頃より本好きであったけれど、義務感で読書をすると内容が全く頭に入らない癖である。それを見かねた教師が私に教科書内容への興味を持たせようと工夫してくれるのだが、私はそれを機敏に察知して、いよいよやる気を失うと言う、誠に厄介で扱いづらく、憎たらしい子供であった。

 そんな日々の反省と自戒とを込めて、私は今も手元に当時の教科書たちの一部が置いてある。国語も歴史も英語もほとんどのページが落書きで埋め尽くされて、中学より高校、高校1年より高校3年になるに従い阿呆ぶりに拍車がかかっている。世界史のルネサンスの項、サンドロ・ボッティチェッリ作『ヴィーナスの誕生』の写真には大好きだった女の子のイニシャルが書いてあるし、マハトマ・ガンジーはサングラスにモヒカンになっている、スターリンの記述は岡田真澄に改めてあるし、同じくルソーは沖雅也になっている。もうめちゃくちゃである。中でもザビエルの頭髪はふさふさの七三になってる上にハチマキをし「これでいいのだ!」とセリフが書いてある。阿呆のカタシ、なかなかのアーティストぶりだ。 

  余談ながら、ザビエルのような修道士のあの特徴的なヘアスタイルをトンスラと言う。強調したいのはあれは人為的なヘアスタイルであって、自然状態の頭髪ではないと言う事だ。もちろん個人差がある事象であるから、人の手が加わらずともトンスラが完成できた事案もあったろうが、基本的には、わざわざ頭頂部を剃ってあのヘアスタイルとするのである。一説にキリストのイバラの冠を模したものだと言い、また一説に世俗との区別を明確にしたものだとも言う。要するに世俗で生きている身では絶対にやらない恥ずかしいヘアスタイルを敢えてする事で、神に仕える身分である事を明確にした、らしい。我が国に於いてザビエルとМは薄毛の二大巨頭とされて、どうせそうなるならばМがいいよね、などと男どもは願うものだ。ただザビエルにしろМにしろ悲しい真実を言えば、それはどこまでも過程でしかなく、どちらのタイプも進行すればヒヨコを経て前頭部に離れ小島を形成し、そして離れ小島もやがて侵食され、サイド部分を残しサムライの月代(さかやき)状に至るのである。ただ、サイド部分の残存具合によっては、U字型の、馬蹄形の、フレンチクルーラーと言うべき状態を保つ事もある。これはかのお茶の水博士が好例である。これらはいずれ私が論考をまとめネイチャー誌に寄稿しようと思う。

 ときおり、夜中の八畳間で中学や高校時代の地図帳をめくってみる。他の教科書とは落書きの種類が違い、世界の都市と都市が直線で結ばれてあったり、鉄道路線や街道がペンでなぞってある。街の脇に①とか②とか書き入れてあり、大きな街ではそれが⑤とか⑥であったりする。街に書き入れた数字は泊数である。鉄道や街道を行くバスに揺られて街を巡る。安い宿に泊まり、地元の人が集うような食堂で食事をして、彼らと誼を通じ、そして語らい、あわよくば女の子とも仲良くなり、さらに妄想をたくましくして、ローマ辺りで何処かの国の王女様と仲良くなったりしないかなぁ…などと鼻の下を伸ばしながら地図の中に物語を見ていた。私にとって地図帳はそんなに遠くない未来に待っている旅の計画帳であったのだ。パリからリヨン、グルノーブルを巡りマルセイユ、ツーロン、モナコ、そしてイタリアへ。アマゾン川の河口ベレンから遡りサンタレン、マナウスへ。アメリカの東海岸から西海岸へ。17歳のカタシは今よりもずっとワイルドで冒険心と好奇心に富んでいたようである。それが17歳の旅計画、過保護な旅を繰り返した今となっては、シャワーの圧が弱いのは嫌だ、とか、サービスの質が悪い、とか、食事が口に合わない、とか、不潔である、とか、散々悪態をつきなかねない旅程表である。南仏リヴィエラ地方の著名なヌーディストビーチに赤印がしてあるのは17歳カタシの慧眼であるけれど、果たして現在、かの地に降り立つ事が私にできようか、大変に悩ましい。これに限らず17、18歳の私が描いた旅程のほとんどを私は実行できずに来た、過去の私に対して申し訳なく思うし、心に手垢がついてしまった事を深く恥じてもいる。 

あのころ、僕は
幼くて、無知で、お金もなくて 
けれど、地図で世界を旅する事ができた 
校庭の樹木が光に照らされたら 
僕はすぐに熱帯の森に行けた 
グランドが雪に包まれた日は 
ハイランドの白い世界を歩いていた 
不自由な日々に限りない自由を想い 
自由ないま、自ら好んで不自由を選ぶ 
成長し、知識も得たけれど 
自在な想像力とひたむきな行動力は失われた 

近いうちに地図帳の旅程を実行してみようと、そんなふうに思う。行き先はまだ分からない。 
なお、ザビエル氏の遺骸はインドのゴアにあり、そして彼の故郷はスペインのバスク地方である。
地図帳にはインドを巡る旅もあれば、イベリア半島を巡る旅もある。 
落書きの詫びと、頭髪の健やかなる明日を祈る巡礼の旅 


 悪くないな… 

 南無