どうも、絶叫マシンと言うものは、スリルや恐怖を楽しむ意味合いに於いて、安全担保の具合が丁度良いらしい。危険である事に間違いはないけれど、十分な身の安全が担保され、それが故に恐怖と言うものを積極的に楽しむ状態になるのだ。尤も、世の中には、安全がさほどには担保されない危険に敢えて身を晒すのを得難い歓びとする人もいて、これなどは生命維持の観点から、恐怖のネジが緩んでいるとしか言いようがない。恐怖や戦慄とは一面、生命維持に欠かせない感情なのだ。私などは生命維持装置としてのネジがまずまずしっかり締まっている方であるから、千日回峰行に倣い夜中の山歩きなどを好んでする事があっても、絶叫マシンに敢えて挑む蛮勇は持ち合わせていない。思えば10年程前になろうか、富士急ハイランドの、あのフジヤマを味わって以来、私は静かに絶叫マシンへの敗北を宣言した。怖かった、ヘナヘナになった、フジヤマなんて雅で扇動的な名を冠しているものだから、これに騙されてうっかり乗ったのがいけなかった。私見ではあるけれど、こうした場合には傾向として女性の方が男どもより遥かに絶叫マシンに耐性と余裕があり、結果、ほどほどの恐怖を楽しんでいるように見える。実際この時も、笑い転げる同乗女性2人に抱きかかえられるようにして私はフジヤマから降車したものである。私は二度とこのようなものには乗るまいと固く心に誓い、累代の先祖へ斯様な座興に一命を賭した事を心より詫びた。どうせ一命を質に入れるならば、道路に飛び出した子猫ちゃんを助ける為にとか、或いは例の札付き歌舞伎役者に手籠めにされかかる芸妓を助けにゆく、とか、また或いは子供等に虐められている亀を助けに行く、とか、この身を捧げる場面はいくらでもあろうかと思う。このフジヤマ如きに没するわけにはいかぬこの身の上と私の心情を皆様にはしかと御含み頂きたいのだ。


 他方、同じ恐怖であっても、怪談、怪異譚、サスペンス、ホラー映画等は直接的な身の危険はない点で比較的に心が安楽な状態で恐怖に臨める。余談ながら、あんらくにきょうふをたのしむ、とは、生物学的に高等生物特有の行動なのであろう。ひと昔前までは、ヒトとその他の生物を隔てる決定的な行動として「遊ぶ」事が挙げられていたけれど、その後の学究の成果として、人間以外の生物も遊びをする事が詳らかとなり、これにより人間と動物を隔てるもののけじめがつかなくなっているが、このスリルや恐怖を積極的に楽しむ行動は今後、ヒトのヒトたらしめる特徴として列記されていくのかも知れない。ともあれ、怪談や怪異譚はいつの時代の何処の人々にも耳目を集める対象であり続けてきた。私も幼い頃は妖怪大辞典やら世界の不思議、日本の怪異譚、果てはミイラ。日本や世界の不思議や恐ろしい話の本を貪り読んだ。ぬくぬくとした部屋で読む恐ろしい話の数々は、安全が確保された恐怖そのものであったし、その温度差とも言うべきものが私を幸せな高揚感に誘った。学術的な裏付けがあるものから荒唐無稽なものまで、幼い心にそれらは全てこの世の未知として消化され、そして定着していった。

 夜になれば祖母の寝物語が始まる。祖母の演目は洋の東西も時代もジャンルもまちまちであったから、ベニスの商人の日もあれば、平家物語の日も、平手造酒の日もあれば、ハーメルンの笛吹き男の日もあった。古典に通暁した人であったけれど、源氏物語が演目になかったのは、6歳児には少々アダルト過ぎるとの判断があったに相違ない、祖母の話のうち、特に印象的だったのは祖母が娘時分に信州伊那から奉公に上がっていた女中から伝え聞いたと言う「くだしょう」の話であった。くだしょう、とも管狐(くだぎつね)とも言い、狐憑きの一種である。山深い集落で各家々から突如として金品が消える、或いは家人が病がちになる。そして時節を合わせるようにして、集落内のある一軒が栄えていく、物持ちの家となっていく。これを村人たちは、その家がくだしょうを飼い各家々からモノを盗ませているのだと噂し合った。だけでなく、くだしょう持ちの家として忌み嫌われ、それでいて、くだしょうを用いた復讐を恐れ、表立ってその家人への怨み言は憚った。実際、件の女中が遠路京都にまで奉公せねばならない境涯に至ったのも、くだしょう憑きの家に狙われて実家が没落したが故なのだ、と。事の真偽は今だ分からない、辻褄が合わない所もある。が、少なくともその女中はくだしょう憑きを固く信じて疑わなかったらしい。これはそれほど昔の話ではない、昭和の一桁の頃、人々の日常に怪異は生きていたのである。

 憑依。を映画に求めるならば、これはもう「エクソシスト」と言う金字塔がある。こちらは狐憑きではなくて悪魔憑きの話であるけれど、かれこれもう半世紀前の映画であるにも関わらず、その作り込みの見事さ、登場人物の心の葛藤、そして恐怖演出の巧みさに於いて現代にあってもこれを凌ぐものは皆無と言ってよい。私は狐にも悪魔にも憑かれてはいないけれど、昨今、意思疎通が不可解なものに一方的に憑かれているのではないかと言う不安と確信めいたものがあり、お祓い代わりに何年ぶりかでこの作品を鑑賞した。初めてエクソシストを見たのはテレビであったと思う、荻昌弘さんだったか、水野晴郎さんだったか、淀川長治さんだったか、いずれの局かは失念したけれど、私は10歳くらいであったと思う。普段は仲が悪かった姉と二人肩を寄せ合って恐怖に震えながら最後まで見たものだ。当時、私は祖母と同じ褥(しとね)を卒業し、二階に自らの部屋を充てがわれ、その部屋で寝起きをしていた。隣は姉の部屋、それまで親しんだ祖母の部屋は一階であった。エクソシストを見た夜、床に入ってもなかなか寝付けない。薄明かりに照らされた天井の木目が人の顔に見える、木造家屋特有の家鳴りが耳につく。怖ろしくて堪りかねた私は枕を片手に姉の部屋にそっと入った。何しろ祖母の部屋までは距離があるし、その闇に彩られた茨の道を行くよりは、姉の部屋で寝る方が理に適っていた。姉の布団の端をたぐり
「ねえちゃん…」
と呼ばう。普段はねえちゃんではなく、下の名前を呼び捨てしていたのだが、この時ばかりは背に腹は代えられない、可愛い弟にでも何でもなってみせる。返事がない姉の肩を揺すって
「なぁ、ねえちゃん…」
と言い終わるが早いか、目を見開いた姉は
「なんや、おまえは!」
と言い、拳で私を殴りつけてきた。ああ、なんという凶暴な姉、可愛い弟が恐怖におののく夜に、更なる恐怖を与え、あまつさえ鉄拳に及ぶとは言語道断である。他でもない、悪魔は隣の部屋に棲んでいたのだ。その夜を境にどのような恐怖も自室で耐える術を私は身につけた。UFO特集を見た夜は自室で寝ながら、グレイ氏に姉をアブダクションしてくれ、と心から祈ったけれど、翌朝、姉はアホみたいな顔して起きてきた。私の願いは虚しかった。
 
 結局のところ、絶叫マシンより、怪談より、ホラー映画より、或いは死せる者よりも、生ける者が一番怖ろしいのだ。それは時として安全が担保されない状況に至る恐怖なのだ。話して分かり合えるのは共通言語がある者同士に限られる、人間世界に於ける不安と悩みと恐怖の根源は、じつにそこに集約される、怪談のような現実があるとするならば、それらは悉く人によってもたらされた現実なのである。

私の友人がある夜、一切無連絡のまま午前様に挑むという恐るべき暴挙に出た。私は彼のその後を聞けないでいる。大人になると、このような怪談もたまにあるのだ…
 

南無