なにしろ五十有余年に及ぶ昔馴染みであるから、通称はおろか愛称で呼ぶ事すら許されている。と、私は勝手に思っている。
世に言う通称は下鴨神社、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、そして私はと言えば祖母がそう称していたのを踏襲しカモミールさんと呼んでいる。私のうぶすなさまであり、氏神様でもある。その主祭神様も去ることながら、境内の摂社として、私ととりわけ縁深い御柱が座しておられるから、本殿詣りののちは、言社の干支詣り、そして件の摂社詣り、然る後に御朱印を頂戴する経路を辿って私のカモミール詣りは完遂する。その途中、参集殿から本殿に移動される新郎新婦とその御尊家御一統様の行列と行き合う事があり、当然の事とて、速やかに進路を譲り、おめでとうございます、と一礼する。それに対して歩みを止め、ありがとうございます、答礼して下さるお二方と皆様。やがて綿帽子の白妙が歩様に合わせ上下にしずしずと波打ちながら、本殿に消えていく。佳き日の佳き姿、幸せを祈らずにはいられない。あの元日の出来事やらあちこちで起こる紛争を鑑みるに、本邦は無論、東西世界の神仏に聞きたい事やら文句の条々はあれど、せめて佳き日の二人の事は見守ってほしいと思うのだ。
  

 仁和寺にある法師はそれまで石清水八幡さんに詣でなかった事が心残りで、ある日意を決して徒歩で詣でに行ったけれども、翻って、私の心残りをつらつら思うに、結婚式なるものを挙げた事がない、との一事が妙に引っかかるのだ。それは無論、私の不始末と不心得とに起因するものであって、言わば自業自得を具現しているに他ならないのだけれど、さりとてあのように美しい光景を目にすると、埋めておいた残り火がくすぶるような、仄かな情動を自らの心中に認め、未だに朽ちることなく己に息づいているあちら側への未練とも言うべきものを突きつけられ、驚き、困惑し、また苦笑させられたりもする。愛すべき相手を想えば想うほどに、私のような者を伴う結婚生活の惨禍に巻き込む訳にはいかぬのだし、さりとて、ならば挙式だけを強行すべしとの呆れた自儘を諾とする女性がいる筈もなく、心残りは心残りとして、ものの道理として、幸せの風景を見るたびに私の心をチクリと刺して沈殿していくのだろう。

 ことほぎの風景。結婚する二人と関係者に祝い言を述べ、それに答える。たったそれだけのやり取りが実に美しい。佳き日の佳き風景を佳き二人が語り継ぐ為に、佳き人には佳き自分でなければならない、彼に、彼女にとっての佳き人であり続ける限り、佳き日は佳き日として煌き続けるのだ。私に神仏の思し召しは分からない、が、相手を想う、どのような場であっても、祝いの場であっても、或いはまた被災地であっても、幸せを祈り、無事を願い、助け合い、手を差し伸べるその姿。そこにもう神仏は宿っている。人はそのままで神仏となり得るのである。

 私も既に五十も半ばに手が届こうかと言う年齢になった。かわゆいお婿さんを夢見て幾星霜、ついに挙式は叶わなかったのに、既に三度もの挙式を行った同級生がいる。その都度、祝儀をさらっていく暴挙に耐えかね、ついに三度目の挙式では祝儀袋に図書カードを入れておいた。本でも読んで少しでも賢くなれよ、との私の慈愛に満ちたメッセージが伝わったかどうかは分からないけれど、今のところ四度目の気配は見受けられない。
佳き日を佳き日として迎える為には、言祝ぎに値する自らである事も重要なのである。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。


ふふ

おしまい。