たいていの古本屋さんは北向きか東向きであると言う。これは本が日に焼けて傷まないようにする為で、敢えて日当たりの悪い北向きに店舗を構え、よしんばそれが叶わぬまでも、せめて西日を避ける為に東向きの店舗としているのだ。
この一事を以ても古本屋さんの書籍に対する愛情を感じずにはいられない。無論、彼らとて商売には違いないのだから、自ら好き好んで書籍の商品価値を落とす事はすまいが、さりとて店舗の間口まで考えた店作りとは、本来的な書籍に対する愛情がなければできぬ事である。
いつだったか、今どきの書籍二次販売チェーン店で、クリーニングと称して本の紙焼けした外側を削る作業を見て気絶する思いをした事があった。
二次販売の功罪についてはここでは触れないけれど、少なくとも書籍に対する愛情と言う意味合いに於いては、件のチェーン店は遠く古本屋さんに及ばない。書籍を単なる右から左の集金媒体のように扱い、アルバイトの店員さんはそれが何を意味してるかさえ知らずに今日も本を削り続ける。

先日、二条寺町の古本屋さんで、故岡部伊都子さんの『美を求める心』なる文庫本を見つけた。
書籍に対する愛情に満ちている古本屋さんではあるけれど、さすがに文庫本となるとその扱いは軽い。
店外の道路際で粗末な本棚に並べられた上に一冊100円と無造作に書かれてある。往々にして本の内容と価格とは必ずしも一致しない場合があるけれど、文庫本と言うそもそもの目的から言えば、このような扱いも致し方ないのかも知れない。
日に当たるも焼けるも無関係にその文庫本たちは居並ぶ、出自の宿命を往来に晒し次なる持ち主を待つ、その中の一冊『美を求める心』私はそれを贖い帰路についた。
私がこの文庫本に特別な情趣を催すのは理由がある。
それは私の懐古であり回顧であり、邂逅でもあるのだ。そう、私は岡部伊都子さんを知っている。

私が三十歳を一つ二つ出た頃、出町から府立植物園の賀茂川沿いを散歩する老婦人をよく見た。
厳然とした決まりはないけれど、賀茂川と高野川が出町で合流したのちは鴨川と称するのが普通で、従ってこの辺りでは賀茂川と称するのが適当であろうと思う。
その御婦人をお見かけする時間に定まりはなく、午前中にお見かけする事もあれば、黄昏どきにお見かけする事もある。
老婦人などと言うものの、おばあちゃん、と気安く呼べぬ凛とした雰囲気があり、いわゆる刀自と呼びたくなるような厳威と、それとは裏腹に春風のような軽やかさを合わせ持つ不思議な女性であった。
一週間に一度会うか会わないかの程度であったけれど、思い切って私から話しかけたのをきっかけに、お会いすれば数分程度立ち話をする関係になった。
いまはもう聞かれなくなった、大阪の船場言葉が実に心地よい人で、その言葉の節々から何かしら芸術に関連した方のようにもお見受けした。
こうした場合に相手の詳らかを伺うのは失礼でもあるし、賀茂川のほとりでたまに行き合う品性のある御婦人、それだけで私は満足で、また御婦人も私の仔細を聞こうとはしなかった。

ところが、である。そんなご縁を幾度も重ねたある日、新聞に件の御婦人の訃報を見つけた。随筆家 岡部伊都子さん死去、とあって、あの方の写真が記事に添えてあった。新聞記事で御婦人のお住まいがあの場所のほど近くであった事、大阪の裕福な商家のお生まれであった事などを知り、なるほどと得心する事が数多くあり、そしてなによりあの川辺りを散歩しても、二度とお会いする事がないのだと思うと寂寞の思いが込み上げて来る。
暫く時間を変えて何度もあの場所に行ったけれど、やはり御婦人に会う事はなかった。
あれから十数年経った。御婦人のお住まいは企業の所有となり、元随筆家の住居、などと称して内部公開されている。
ただ、私はそこへ行く気にはならない。岡部伊都子さんとの思い出は賀茂川のほとりにあるのみ、したり顔して元のお住まいになど赴けば、思い出が別のものへ変質するようで、私にはそれが怖い。

先ほどまで、賀茂川のほとりで岡部伊都子さんを思いながら、古本屋で贖った文庫本を読んで来た。
文庫本の最後のページにボールペンで 中央大生協 84.6.8 と書いてある。


この本もたくさん旅をしてきたらしい。












【カタシお兄さんの今日のモヤモヤ…】

紙ストローさん、君がもう少し、せめてあと5分だけ頑張ってくれたなら
僕もいろんな事を頑張れる気がする

たのむわ…


南無