知恵熱から回復したにも関わらず、カタシのやつはブログ更新もせず、一体何処をほっつき歩いているのか、と皆様には御不審の事と思う。
或いは、ひょっとしてカタシのやつは悪い子の組織に拉致されたり、政治家のあれやこれやを知りすぎてしまったが為に虚しい事になったり、また或いは分かりやすい美人局に引っかかり台湾のサーカス団に売られたのではないか、などとご想像を逞しくされた方々もいらっしゃる事と思う。
だが、安心して頂きたい。
この間のカタシは自らの仕事をこなし、集落のお年寄りと柴犬ゴローの相手をし、とみちゃんの命を受けて柑橘園の害虫駆除をし、その合間にお子ちゃま達と15時の給湯室OLごっこ(昭和編)をし、さらにその間隙を突いて山への回峰行をしていた。
夜の8時を過ぎると疲労と虚脱が私を包み、スマホのブルーライトすら催眠の足がかりとなる、まるで部活を終えた16歳のように翌朝まで眠り込んでは、一番鶏の目覚しに軽い殺意を覚えつつ、愛しいベッドに別れを告げ、汲みたての湧き水で顔を洗い、16歳にしては濃いヒゲを剃り、精一杯の爽やかを演出しながら区長一族の面前に現れるのである。
ただし、起きてよりのちは睡眠が体へのエナジーフローとなる16歳とは違い、私にはしっかり前日までの疲れが残っている。
このハードな生活ぶりではいっそ台湾のサーカス団の方が楽かも知れない、よってブログ更新もままならず、このような拙いものでも楽しみにして下さっている皆様には心より御詫び申し上げたい。

さて、理屈っぽい私としては前述の「害虫」と言うのが少々難癖をつけたくなる。皆様と思うことは同じで害虫とは人の主観に他ならない、害虫であれ益虫であれ、それは人にとっての益と害という意味である。本来的に命は等しいのであれば、人の都合による区別は最も忌むべきなのではあるまいか。
と、言う意味の事を私の上官たるとみちゃんに言ったところ、何より作物ファーストである彼女は例によって
「あんたってバカなの?」
とにべもなかった。
敗走の弁士は肩を落とし柑橘畑に向かう。無農薬を旨とする彼女の農場は同時に虫の楽園でもある。
今回の私の任務はミカン、キンカン、夏みかん、レモン、柚子などの柑橘類につく幼虫の駆除である。
ワインやウイスキーなどを熟成させる段階に於いて、時間と共にアルコール分や水分が蒸発し、樽詰めした当初よりも総量が目減りする。この目減り分を「天使の取り分」などと粋な言い方をするのだけれど、作物の場合「虫の取り分」と悠長な事を言っていると全滅の恐れすらあり、つらつら考えるに野菜・果物の安全安心とその価格との相関性はあざなえる縄のような関係にある。無農薬のレモン1個500円、いったい誰が買うのであろうか。作物を採算ラインに乗せるとはそう言う事である。
とみえ農場は営利農場ではないけれど、私の反駁をとみちゃんがバカだとなじるのも無理からぬ理由があるのである。
さて、プラスティックカップと割り箸を携えてレモンの樹に行くと葉っぱに得体の知れない小さなゴツゴツした茶色い虫がおびただしい、最も小さなもので5ミリ程度、大きなもので1センチ程度の幼虫があちこちに付いている。中には緑色の大きな幼虫もいて、これはなかなか気色悪い。
数個のカップに相当数の幼虫を捕獲して、試しにグーグルのレンズで検索してみたら、何たる事であろうか、茶色も緑もそれはアゲハチョウの幼虫ではないか……
あの華麗な美しいアゲハチョウ、私の大好きな蝶である。困った、これは困った。
上官の命令は絶対である。つまりこれらの幼虫の抹殺指令が出ている。しかし、アゲハチョウの幼虫と知ってしまった以上は駆除してしまうに忍びない。
そして今一つの問題は、蛾の幼虫ならば駆除して構わないのか、と言う自己矛盾である。
美しいものならば命を救おうとし、美しさの基準から外れたものは容赦なく命を虚しくしようとする。
美しくない自分の心の有り様に嘆息しながらも、やはり私は幼虫たちを救うべく、駆除と称する作業を終えてから山を駆け上がる。
調べてみるとアゲハチョウの幼虫は柑橘類の葉を好んで食べるらしい、とみえ農場の柑橘におびただしい数がついていたのも頷けるのだ。そして都合の良い事に私は山向こうの麓に柚子が自生しているのを知っている。
今度は薄手のゴム手袋をして、一匹一匹を柚子の葉に放し、或いはくっつけて大掛かりな引っ越しは完了した。捕獲を経て都合6時間にも及ぶ引っ越し、幼虫の総数は100匹を超える、杉原千畝氏の命のビザと言うのがあるけれど、私もなかなかどうして結構な数の幼虫を救ったのだ。杉原氏との一番の違いは、彼は命に分け隔てはなかったが、私には美しさ、と言う隔てがあった事である。
とまれ、たとえ数匹であっても幼虫が羽化しアゲハチョウとなり、山を舞い、野を渡ればそれで良い。
そして、ついでに私のところへやって来て山奥に眠ると言う隠された埋蔵金の在り処まで案内してくれたならなおよろしい。

虫の取り分はないけれど、果物を作る農家にはなかなか素敵なおまじないがあって、これを曰く「木守り柿」などと言う。こもり、きもり、きのまもり、などと言ったりするが、柿の収穫の終わりに来年もまた豊かな実りが訪れるように、と柿の実を一つだけ木に残しておくのである。鳥の取り分とでも言って良い。もちろん柿に限らず柚子でもミカンでもわりに行われている。
おまじないの効果の程は分からない、しかし作物を育てる人々の優しさが垣間見えるようで、この朴訥とした心の有り様に育てると言う事の意味を私は見出す。

そしてもちろん、このとみえ農場でも木守りをしている。
アゲハチョウに鳥さん
これでダブルの恩返しは確定である

私がこっそり姿を消したなら、埋蔵金長者になったと思って欲しい……

台湾のサーカス団なんかに行くもんか。


ふふ