昨日の台風。この集落には特段の被害もなく、もちろん人的な災禍もなく、無事に峠を越え、さらには不慮の事態をもなく、非日常を愉しむと言えば語弊があるものの、心に余裕がある状態でつぶさに自然の脅威を観察できる状態で夜と朝を迎えた。
皆様からはご心配とお気遣いを多数頂き、僭越ながら私が区長に成り代わり幾重にも御礼申し上げます。

前日からツタヨばあちゃん(85歳)宅に泊まり込み、且つ屋外に置いてある強風で飛びそうなものを整理収納し、窓ガラスは簡単に補強し、柴犬ゴローには不測の事あらばいち早く知らせるようビーフジャーキーを与え言い含め、また久々の日中台風である事から、前もって集落のお年寄りには絶対外出しないように注意喚起し、お子ちゃまがいる世帯には決して彼らから目を離さないようにお願いしつつ集落全ての世帯を周った。
なにせ当の私自身が、やるな、と言われた事は幼い日からこんにちに至るまで必ずやってきた男である、従ってこの種の言葉の虚しさを誰よりもよく知っているのだ。
ツタヨちゃんの家を防災センターにしたのはこの家からは集落唯一の川がよく遠望できるからで、禁を破り増水した川に近づく者あらば、即座に摘発検挙する手筈である。
「やるな」とはお子ちゃまとお茶目な年寄りにとってのGOサインである事を私は熟知しているのだ。

とまれ、ツタヨと共にこの防災センターで私は台風7号を迎え討つ、もとよりツタヨは台風如きに何も動じる事はない、それどころか若いぴちぴちイケメンと長い時を過ごすのを楽しんでいるのか、動きがいつもよりシャープである。更には「ツタヨ、茶をくれ」と、私がわざと昭和の亭主関白風に所望すれば、甲斐甲斐しく私の元に茶を運んで来る。
台風と共に巡ってきたツタヨ二度目の新婚生活、その辺りは私も心得たもので、少々現代的ではない「妻」への対応も、昔日の再現と言う点で、彼女に対しある種の贈り物であるかのような心持ちでいる。

正午近くになりにわかに風雨が強くなる、やはりと言うべきか、築60年の防災センターは雨漏りに見舞われる。予め用意しておいたバケツに台風の一滴が落ちていくが、ツタヨは終始上機嫌だ。
事が何も起こらぬ限りに於いて、私の役割も仕事も発生しないのだし、もともと私とツタヨはサスペンス友達であるから、今日はBlu-rayディスクで持ち込んだサスペンスの三本立てである。
余談ながら、ツタヨハウスにはほぼ最新鋭の電化製品が整っている。何の事はない、それらは私の買い替えに伴いツタヨハウスに移設したものがほとんどである。Blu-rayデッキ、調理器具、果てはLEDシーリングライトに至るまで、古民家モダン生活を彼女は満喫している。

今日のサスペンスは京都を舞台にしたものばかり、私の昭和コレクションから特に抜粋したものだ。
私が昭和の、サスペンスの、京都の、ものを好むのは子供時代に見た景色やら、街並みやらが出てくるからで、じつはストーリー自体にさほど興味はない、ゆえに始まってすぐ、犯人をツタヨに教えてしばかれると言うパターンを際限なく繰り返している。
最近ではツタヨも事前に警告を兼ねた釘を刺すから、しぶしぶ犯人の名は明かさないようにしているのだ。

ここからは京都のローカルな話題が続くけれど、皆様にはどうかお付き合い願いたい。
サスペンスでは京都人から見て、それはないやろ、と言う突っ込み所がままある。
例えば、新京極の喫茶店で話をしていた二人が
「ちょっと外を散歩しよか」
と言って歩いているのが渡月橋であったりする。東京で言えば渋谷の二人がいきなり隅田川にワープするようなものだ。めちゃくちゃである。
このサスペンスの中では、京阪電車が川端通と並走している、京阪が地下に潜ったのは確か私が小学校高学年であったと思う。
また別の作品では南座の前にとんとん来と言う今はないラーメン屋さんがその勇姿を一瞬ながら留めているし、木屋町のインデアンと言うカレー屋さんも映っている。
いずれも思い出深いお店である。インデアンのカレーはサラサラの辛いカレーで、当時のガールフレンドが私の汗をハンカチで拭ってくれた。スパイシーな思い出のいくつかは、この粗い解像度の画面に封じ込まれているのだ。
ひょっとしたらこのサスペンスに私が映っているのではないかと思うほどに、粗い画面とは裏腹の鮮やかな記憶が蘇る。

三本立てのサスペンスが終わりに近づく頃、防災センターのバケツは3分の2まで水が溜まった。
どうやら台風のピークは過ぎたらしい。
幸い出歩く人もなく、ざっと見たところ集落に被害はない。
しかし、この集落から最寄りで一番の街である舞鶴は浸水被害などが出たらしい。被害が出なかったのは本当に幸いである。
今年7番目の台風、8月半ばで7つ。例年25号前後くらいは発生するから、まだまだ油断はできない。

つまり、ツタヨとの新婚生活&サスペンス生活は今しばらく続くのである……


ふっ…