「この橋わたるべからず」
「はーい、はしでなく真ん中を渡ればいいんですね!」

「屏風の虎を捕まえてみよ」
「はーい、じゃあ虎を追い出してください!」

ちょっぴりどころではない。かなり憎たらしいお子ちゃまである。大阪のおかんが相手なら間違いなくしばかれるに違いない。
昭和の50年代に小学生であった皆さんはお分かりであろう、そうアニメの一休さん、かわゆくて賢いけれど、見方によっては小憎らしい小坊主さんと、バラエティ豊かな出演者が繰り広げる、時代風アニメであった。
為政者として、武家の棟梁として不安になるくらいポンコツな将軍さま、その家来、ケツアゴがセクシーな蜷川新右衛門さん、善人であろう筈のないルックスの桔梗屋さん、その娘の妙に艶っぽい弥生さん、超絶美女の母上さま、安国寺の愉快な仲間たち、そして一休さんに淡い情熱を燃やすさよちゃん。
実在の人物は、主演の一休さん、足利義満、蜷川新右衛門である。
一休宗純の俊才ぶりは早くから聞こえていたらしい、後年一休とんち話として創作された逸話は幼少期の評判を脚色したものである。ひいてはそれがアニメ一休さんの祖型となったが、何よりも彼の成り立ちを特徴付けているのはその出自である。
彼は後小松天皇の子であるとされている。ただし、母親の身分が低く、或いは南朝の出身者であったが為に、政治的な理由で以て6歳で安国寺に預けられた。事実上の出家である。
後年、権威に抗い、僧門を罵倒し嘲罵し、破戒を繰り返し、挙げ句にオレのようにはなるな、と弟子たちに言い含めた彼の行状の源泉は、このような出自と無関係ではない。母こそ違え父親の後小松天皇の後を継ぎ即位した称光天皇は一休宗純の弟である。
権威の馬鹿馬鹿しさ、薄っぺらさ、虚しさ、人々の救済とは無縁の僧門の腐敗、それらを目の当たりにした一休宗純は当て擦るように破戒の限りを尽くした。反骨の人である。
禅とは修行を通じた大いなる自己肯定と自然肯定の道である。自己肯定のあり方によっては相当にアクの強い人物や生臭い人物を輩出する事がある。
禅に限らず現代でも売僧が後を絶たないけれど、一休宗純の破戒はそれらとは本質的に違う、木屋町辺りでビニーキャップを目深に被り、キャバクラやクラブから出て来る変装僧侶をよく見るが、なぜコソコソするのか、堂々と袈裟衣でキャバクラ行ったらええやないか、と思う。堂々とできない破戒なら最初からするなと言いたい。
一休宗純は実に堂々と破戒をした。むしろその破戒ぶりを見せつける事により警鐘とした。
形而下の事は些末な事である。一休宗純はじつにロックな魂を持った僧侶であったのだ。

昔のアニメのエンディングは物悲しいものが多い。
一休さん、も僧門にある一休さんが自儘に会うことの叶わない母への思慕を文に綴る唄である

ははうえさまお元気ですか

ゆうべ杉のこずえに

あかるくひかる星ひとつみつけました

星はみつめます

ははうえのようにとてもやさしく 

わたしは星にはなします

くじけませんよ 男の子です

さびしくなったら はなしにきますね

いつか たぶん

それではまた おたよりします

ははうえさま

いっきゅう



くじけませんよ〜〜
の所をあれこれ言うのは野暮と言うものである
私はこの『いつか、たぶん』の所に毎回感じ入ってしまう。
いつかたぶん、叶うかも知れず叶わないかも知れない切々した想いが胸に迫る。
たかがアニメの唄などと言ってはならない、小学生の私は唄がこの箇所まで来ると泣いてしまう事もあった。
私にも逢いたい人が何人かいる。この世では逢う事の叶わぬ人、遠くから私を励ましてくれる人、このような私ですら好ましく想ってくれる人。

私は逢いたいな

いつか、たぶん