山里暮らしの間はニュースを見ていても、何処か絵空事と言うか、妙に現実感に乏しくテレビは動く紙芝居のようで、虚ろな目をして国民に語りかける宰相は腹話術人形みたいだから4K画面に近よって、口の下に線が二本入っていないかと凝視するのだけど、どうもこれは生身の宰相であるらしく、ああ…やっぱりこれは現実らしいと、ぼんやり納得するのだけれど、さしあたり目の前の問題はエビフライをいつも通りタルタルにするか、変化球でウスターソースにしてみるかと言う実に重要なテーマであるから、結局のところ宰相が言う事はあまり耳に入らない。
ああ、やはりエビフライにはタルタルだぜ。プリプリの弾力のある身、断面からたなびく湯気、薄いコロモとふくいくたる甘い香り。ブラックタイガーさん、ありがとう、君は僕に会うために生まれてきてくれたのだね、インドネシアからの長い旅路を経て、フライに身をやつし鎮座ましますその姿、君は素敵だ。
心配はいらない、君の身はもちろん私の血肉となるのだし、君の殻ですら肥料になるのだ。君の殻は一旦肥料ボックスに入り、然る後有機肥料として野菜や果物や草花の栄養となって甦る。
生生流転と言う。君はいま仮にエビの姿に形を変えていただけである、命の仮住まいがブラックタイガーだったのである。君の命は私となり、キュウリや茄子を太らせ、果実の豊かな実りとなり、色とりどりの花を咲かせ、小さな虫達を育み、また虫達は小動物や鳥たちの命となり、新たな命の連鎖となってゆくのだ。
命はいつも雨宿りをしているだけ、日が差して雲間から青い空が見えたなら、やがてそこから別の場所へと旅立って行くのだ。
エネルギーとしての命の総量は変わらない、太古から永々と繰り返しエネルギーは流転しているだけなのである。
数多の命で私の命は支えられている、いつか私が滅びても私の命は無形物としてその後の人々や、自然物となって生きてゆくのだと私はそう感じる。
ブラックタイガーちゃんよ、プチトマトちゃんよ、バジルちゃんよ、サニーレタスちゃんよ、カッテージチーズちゃんよ、宮城県産つや姫ちゃんよ、この夕食に集った全ての命よありがとう。
僕は君らの事を忘れない。今夜お風呂に入って肌が真っ赤になったら、ブラックタイガーちゃんの仕業かも知れないね。

エビフライとの長い語らい。宰相の話題は経済問題へと変わり、昨今の円安への見解となっている。
政治家なんて所詮は極道者の双六上がりのような稼業なのだから、諸外国のあの闇深い政治家たちに日本の腹話術人形がやられてしまうのは至極当たり前なのであって、私はずっと以前からその辺りを見越し虎の子をドル建て預金にしてある。
手練れの博徒のように割り出し、元手を差っ引くと、単純計算でも数十万の上がりが出ている。
これは良い、これで夏の林間学校&夏祭りの費用は賄えるではないか。
泡銭は一円残らず使い切るのが良い、投資と言う名の博打が人の笑顔になるなんて、溜飲が下がる思いだ。

お金
私の財布へ雨宿り
居続けを願っても
いつのまにかお発ちになる

軒下が広いからと
たくさんの人が雨宿り

雨が止んだらもとどおり
あの人たちは一体どこへ

私の財布は雨宿り
誰もいなくなって

青い空が見えたなら
私の心も晴れ晴れとする

ムフフ


持っていた筈のお金が
いつのまにか消えている状態を経済学ではカタシ現象と言うのだ。
ところで皆さん、エビフライにはタルタルソース?ウスターソース?或いはケチャップ?何派でしょうか…


今日の政治経済学講義
おしまい