好きあった、あれほどまでに愛しあった二人に夕闇が迫る。穏やかな風があえかに甘く香り、いたずらに頬をくすぐり、鳥はさえずり、花々が咲き乱れ、煌めく陽光のもとの麗らかな平穏がとこしえに続いていくのだと、この二人のみならず誰しもが信じて疑わなかった午後。そう、エデンの園は実に不確かなもので築き上げられていたのだと二人は唐突に気付く。
人の最も確かで、最も不確かなもの、それは愛だ。

自らに何をもたらしてくれるかで量る愛より、あの人に何ができるかを思考思索する愛、自らの地位や立場の保全を期す愛より、温かな居場所を作り届ける愛。
即ち、自らを幸せにして貰うべく願う愛より、相手を自らの全霊をかけて幸せに導こうとする愛がより尊い事は言うまでもない。
「幸せにしてね」よりも幸せにしてあげる気持ちがなければ所詮結婚など長続きしない。
物質的なもので支えられた愛の脆さ、打算に彩られた愛の危うさ、あの人への愛だと思ったそれは、自分への愛だと知った時の冷たい茫漠。
そしてそれらを知りながら、尚続ける事を選ぶ空虚と怜悧。
互いが互いの幸せを紡ぐ存在たればこそ、エデンの園は永々と穏やかな午後を続けるのである。


このところ、私の別宅の大家たる区長の頭髪に向けた語りかけるような、慈しみと愛に満ちた、宝石のような私の言葉の数々が鳴りを潜めているとご指摘があった。
中には区長との義兄弟の愛を越えた、ちょっと風変わりなBLの予兆ではないかとさえ案じる方さえいる。
いや、そうではない。私の区長に対する気持ちは敬愛と友愛と兄弟愛と頭髪愛なのである。
なるほど私は森に入り、見たこともないカラフルなキノコがあれば区長の為に持ち帰るし、得体の知れない腐りかけの木の実やら、虫の死骸があれば枝の棒でツンツンして安全を確かめたのち、区長の健康と頭髪を慮りこれをささげものとする事もある。
まるで愛する人に持てるその情愛の全てを甲斐甲斐しく献じる恋人のように見えなくもないが、その実は前述のような種々の愛によるものであるし、わけても私の区長に対する頭髪愛は何ものにも揺るがないのである。

区長のあの側頭部か後頭部にかけてUの字を描き、首に向け垂れ生い茂る残された楽園。
何者かの怒りに触れ、頭頂部に追放された常在菌やダニを始めとする微生物たちは実りのない不毛の地でその露命を繋ぐ事となる。バイブルに言うノドの地、いわゆるエデンの東である。
日照りの夏は容赦のない渇きが荒野を襲い、寒風の冬には凍えと飢えがこの追放の地に猛威を振るう。
肌色の地熱はあまりにも虚しく、放逐の民はかつての繁茂を思い、日々涙にくれるのだ。
区長の風呂上がり、懐かしの珠のれんの様になった区長の側頭部を見ながら、スティービー・ワンダーの『Stay gold』を聴くと私は不覚にも涙が溢れて来る。

愛は難しい。人が愛と呼ぶものは実際のところ実に利己的な事由によるものが少なくない。
それは恋人同士の愛に限らず、親子であれ、友人であれ、同じである。
「あなたの為に言っている」事はじつは自分の為に言っている場合すらある。
それだけに人はより醇乎とした愛を、打算や欲望に拠らない愛を探し求める。
あてどもない砂漠を渡りながら、一粒の砂金を探す旅を続け、渇きに斃れる人の何と多かりしか。

違うのだ。敢えて繰り返す。
一粒の砂金が欲しいのならば、自らが一粒の砂金を持ち、そして見返りなく同じ旅人に与えるべきなのだ。
混じり気のない、打算や欲望のない愛を得たいのならば自らが相手にそうした愛を渡すべきなのだ。
それは擦れっ枯らしの人生で、たった一つ残るものだ…

今日のカタシはいつになく真面目に論じてみました。
おっさんとなった私の中の奥底で、17歳の私が絶え絶えに生きている。
それが私のStay goldなのである。

エデンの東にもいつか果樹が繁茂するのだ。

今日の講義
おしまい