新聞配達・日雇い作業員・飲食店店員・食品配達員・総合商社海外駐在員・役員秘書・文筆業

これが私の職歴である。商社以前は全てアルバイト。私は14歳から働いている。
いや、苦労自慢をしているのでなく、こう言っては何だが寧ろ私の実家は裕福であった。
中学生であるのにお年玉だけで数十万、父についてあちこち回れば
「ぼん、小遣いやるぞ」と5万円。誕生日には熨斗袋で数十万。
そんな世界であった。これではこの子はくるくるぱーになると見かねた祖母が半強制的に決めて来たのが新聞配達である。
雨であっても雪であっても休む事は許されない、毎朝4時から私は自転車で新聞配達をして回った。
1ヶ月で5万円に満たなかったけれど、仕事に対する責任と何より配達先の人々に感謝される事が嬉しかった。
それは金額と言う指数に現れる事のない価値として私の中に沈殿していく、職業に貴賤などはありはしないし、まして儲けている事が人の価値を指し示している訳ではない。私が知る金持ちはほぼ全て金に対して恬淡としているし、数字とは別の尺度を以てモノや人を遇している。
金が悪いわけでも、金を得る事が悪いわけでもない。ただそれは十分条件に過ぎず、絶対条件ではない、ケタが増えれば増えるほど良いなんて、少し弱い発想である。
ただでさえ過剰であった私の小遣いが、アルバイトをする事で余計に膨れ上がる。ここで中学生のうちから株式投資や不動産投資をしていたとなれば、いまをときめくMoney Junky風の武勇伝となろうが、私にとって数字が増えていく事は迷惑でしかなかった。
書籍、天体望遠鏡、顕微鏡、パソコン、テレビ、ビデオを買い、その上高校生の分際でお座敷を設けるし芸妓さんと遊んだその足で新聞配達をすると言う、わけわからん生活を送っていた。それでもまだ数字は余りある。
結局、高校の学費と大学の学費一切は自分の収入で賄えてしまう。もちろんこれは私が偉いのではない。
進学をしても、祖母は右から左に金を得る職種を許さなかった。と、言うよりわざわざ自分で肉体労働を選んだ。炎天下、建設現場の日雇い労働をする。右も左も分からず安全帯の着け方すら分からず親方に怒鳴られ、要領の悪い私は現場では明らかに場違いであったが、作業員さんの幾人かは親切に接してくれた。下請け、孫請け、建設現場の実際を身を以て体験できる。理不尽も作業員の鬱懐も肌の感覚として得られた。
1日行って8千円、末端労働者への中間搾取を数字で知らしめられる。派遣業者は机に座っていれば黙っていても金が転がり込むのだ。19歳の夏から冬はピンハネの仕組みを学ぶ期間であった。

職業に偉いも卑しいもない。
職業はその数だけ意味がある。
ただその意味を感じられにくい世の中である
金銭以外に働く意味を見い出す事が困難な現在
それでも生きるために人は働く
そんな人々に敬意のない社会は間違っている
最高学府とは一体何を教える場なのであろうか
彼らが作った社会がいま目の前に広がっている
賢いとは何の尺度であろうか
賢いのではない、阿呆の松竹梅があるだけなのだ

永田町・霞が関の皆さん
もっと謙虚になって欲しい
君らも私と同じ阿呆なのだから